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第1章 第3話 福山芳雄さんの記憶
第1章:2人の患者
第3話:福山芳雄さんの記憶
「あと10回! あと10回電気ショックをしてください!」
心肺蘇生処置の停止を提案した小倉医師に、絞り出すような声で泣きながら訴える福山豊美さん(仮名、78歳)。夫の芳雄さん(仮名、78歳)の心肺蘇生処置は30分間続けており、もう改善は見込めない。それでも、豊美さんの訴えに応え、小倉医師は何十回も電気的除細動を芳雄さんに繰り返した。
臨終を伝えた後、ベッドに横たわる夫の亡きがらを呆然と見下ろす豊美さんの姿が忘れられない。
福山さん夫婦に子供はおらず、二人暮らしだった。芳雄さんは自宅にいたところ、体が動かなくなり、A病院に救急搬送されてきた。1カ月ほど前から強い倦怠感を訴えていて、3日前からは足の色が赤紫色に変色していたという。
診察した小倉医師は下肢末梢動脈疾患の疑いがあると判断。2日後にカテーテル治療を行うことにし、入院してもらうことにした。しかし、入院翌日に突然、芳雄さんは心肺停止状態に陥る。緊急カテーテル検査を行うと、下肢だけでなく冠動脈も高度狭窄状態であることが分かった。蘇生には成功したものの、気管切開をし、長期間の集中治療を余儀なくされた。
入院中に心機能は著しく低下し、下肢の潰瘍やでん部の褥瘡(じょくそう)から感染症を繰り返す状態になった。芳雄さんの全身の身体機能の低下から、小倉医師は「心不全、感染症それぞれは治療できても、回復して帰宅することは難しい」と考えていた。
ある日、小倉医師は病院の廊下でばったり豊美さんに会った。芳雄さんの今後の治療方針について相談しようと、豊美さんをデイルームに誘った。日曜日のデイルームは多くの見舞客や患者が集まってにぎやかだった。ちょうど空いていた中央のテーブルに向かい合って座った。
「芳雄さんの状態なのですが、先日、ドブタミンを……ドブタミンは強心薬ですね。それを中止できるところまではこぎつけたんです。でも、どうやら細菌感染があるようで、CRPの値が上がっているんです。今使っているCVカテーテルに感染している可能性があって、入れ替える必要がありそうです。それから、スワンガンツという血行動態……血の流れですね」
とりあえず必要なことを伝えたいと一気に話した。豊美さんは聞いているのか聞いていないのか分からない表情でうつむいている。続きを話そうとした時、小倉医師のPHSが鳴った。循環器内科の同僚の医師からの問い合わせだった。後で詳しく話すことを伝えて通話を終えた。
「失礼しました」。どこまで話したのかを思い出す。「えっと……。そう、スワンガンツでしたね。これを評価するカテーテル検査をすると……」。必要なことを話し終えた。豊美さんは相変わらずうつむいたままだ。「もしかすると、治すのは難しいかもしれません。ただ、治療を続ければーー」
「先生……私には難しいことは分かりません」。顔を上げた豊美さんが小倉医師の言葉を遮った。「もう、これ以上悪い話をしないでください。まだまだ頑張れるって言ってください。本人も励ましてもらいたいと思っているはずですから」
「そうですか」。小倉医師はそれ以上何も言えなかった。
芳雄さんの状態は日に日に悪化していった。そして、芳雄さんの最期の日を迎える。
その日、医局で書類の整理をしていた小倉医師のPHSが鳴った。看護師から芳雄さんの急変を知らせる電話だった。病室に駆けつけると、芳雄さんは心室頻拍を起こしていた。心肺蘇生と電気的除細動を行い、抗不整脈薬を使用した。しかし、心室頻拍は止まらなかった。下肢血管障害のため、補助循環装置は使えない。そして、30分間に及ぶ心肺蘇生が続き、その後の何十回にも及ぶ電気的除細動が行われた。
「いったい自分はどうすればよかったのか」
その夜、小倉医師は同僚の緩和ケア医に相談した。緩和ケア医は、芳雄さんの件について詳細に話を聞き、SHAREのスキルと照らし合わせて一つ一つアドバイスをしてくれた。メモを取りながら真剣に話を聞いた。疾患の治療と同様に、患者や家族への対応スキルを身に付けることの大切さを知った。
終末期であることを担当医が告知できないために、家族に強い悲嘆を残してしまうことがある。
もし、自分がきちんと対応をしていれば、芳雄さんはもっと良い最期を迎えられたはずだ。豊美さんの悲しみもだいぶ違った形になっていただろう。
「自分の患者から第二の芳雄さんは出さない」。小倉医師はそう誓い、SHAREの詳細をメモした紙を胸のポケットにしまった。
※参考文献:内富庸介、藤森麻衣子著 『がん医療におけるコミュニケーション・スキル 悪い知らせをどう伝えるか』 医学書院
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