「被災地支援」の記事一覧

#01 医療が人を幸せにしている。その原点に触れられることが最大の楽しみ。
#01 医療が人を幸せにしている。その原点に触れられることが最大の楽しみ。
発展途上国、日本のへき地離島、大規模災害の被災地……。世の中には「医療の届かないところ」があります。NPOジャパンハートはそんなところに、無償で医療支援を行っています。ボランティアとして参加した医療従事者が、現地での活動内容などを報告します。 - 専門科:小児科 - 医師歴:7年目 - ジャパンハートでの活動期間:5ヶ月間 ─ 活動地での業務内容・役割を教えてください。 一般小児科外来、小児科病棟管理 ─ ジャパンハートで活動を始めた理由を教えてください。 もともと国際協力に興味がありいつか関わりたいと思っていた。ジャパンハートは参加にあたってのハードル(英語力や臨床経験年数)が低く参加しやすかった。 ─ 参加までのハードルや解決すべき課題など(仕事・お金・家族の説得など) 現地の物価が安く金銭面では思っているほど困らなかった。国内の立場を捨てて海外に飛び出すのは色々と不安があるかと思いますが、現地での経験は帰国後も必ず役立ってくると思いますしなにものにも代えがたい経験ができたと自分は思っているので、全く後悔ありません。自分は家族ができる前に行った方が気持ちが楽だと思って独身のうちに参加しましたが、現地では家族の理解も得て滞在しているスタッフも数多くいました。 ─ 言語・価値観・が違う現地の方々、また駐在している日本の医療者との活動で困ったこと、また工夫などありましたら教えてください。 様々な背景を持った方々と働くことになるので、常に相手の立場を考えること、リスペクトを忘れないこと、は大事だと思います。 ─ 現地で医療をする楽しみはなんですか? 現地の医療は、本当に困っている患者さんに、限られた医療資源でなんとか救いたい、なんとか助けたい、という思いで行う医療です。必死に患者さんと向き合っているうちに、日本では気づかなくなりがちな、医療が人の幸せのために行なっている、という当たり前でシンプルなことにハッと気づかされることと思います。医療の原点に触れられること、それが最大の楽しみだと思います。 ─ 活動地での忘れられないエピソードがあれば教えてください。 エピソードではありませんが、、、現地で出会った人たちとの出会いは本当に掛け替えのない財産です。 ─ 帰国後はどのような活動をされていますか? 僕は出発前に帰国後の職場を決めてから参加しましたが、現地では特に進路を決めることなく参加している人もいらっしゃいました。その方々も帰国後、復職されています。やはり有資格の医療職は復職しやすいと思いますし、縁故採用もまだまだ多いと思うので、思っているよりは復職のことはあまり気にされなくてもいいかもしれません。 ─ 今後の参加者へのアドバイスと、参加を迷われている方へ一言お願いします。 現地での経験は、医療人としてだけではなく一人間としての人生観をも全く新しい境地に連れて行ってくれることと思います。 (ジャパンハート 2019年7月1日掲載) ジャパンハートは、ミャンマー、カンボジア、ラオスで長期ボランティアとして活動してくれる医師を募集しています。 オンライン相談会を実施中です。「医療の届かないところに医療を届ける」活動に関心のある方は、ちょっとのぞいてみてください。 〉ジャパンハート オンライン相談会ページ
#02 楽しい思い出しかない。優秀なスタッフとの出会いや学びはよい刺激になります。
#02 楽しい思い出しかない。優秀なスタッフとの出会いや学びはよい刺激になります。
発展途上国、日本のへき地離島、大規模災害の被災地……。世の中には「医療の届かないところ」があります。NPOジャパンハートはそんなところに、無償で医療支援を行っています。ボランティアとして参加した医療従事者が、現地での活動内容などを報告します。 - 専門科:口腔外科 - 医師歴:15年 - ジャパンハートでの活動期間:2015年4月~2016年3月 - 活動国:ミャンマー (長期ボランティア終了後は月に一度ミャンマーで活動しています) ─ 活動地での業務内容・役割を教えてください。 現地スタッフ、研修生(看護師)の指導、外来診察、寺子屋事業、洪水災害支援、 手術室管理、患者データベース管理、手術(口腔外科分野のみ)、等々。たまに料理指導。 ─ ジャパンハートで活動を始めた理由を教えてください。 発展途上国で口唇口蓋裂の治療に携わりたいと、大学生の頃から思っていました。 吉岡秀人先生が海外で口唇裂の手術をしていることを知り、ミャンマーを訪れました。「うちに来たらいいよ」とお声かけいただき、大学病院を辞め、活動を始めました。 ─ 参加までのハードルや解決すべき課題など(仕事・お金・家族の説得など) 仕事:大学病院を辞めることで迷惑をかけてしまうのではないか、まだ何の技術や知識もない私がミャンマーで何ができるのか、日本でもっと努力すべきことがあるのではないか、等々、不安はありました。しかし退職した翌日、びっくりするほど晴々とした気持ちの自分がいました。これからやりたいことに向かって進める希望に満ち溢れていました。“自由だ!”と心の中で叫びました。 お金:死なない程度のお金があればいいかと軽い気持ちでした。帰国後、銀行の預金残高を見て少し焦りましたが、なんとかなります。生きていける。 家族の説得:全てが決まってから打ち明けました。父からは「そうか」の一言でした。 ─ 言語・価値観・が違う現地の方々、また駐在している日本の医療者との活動で困ったこと、また工夫などありましたら教えてください。(スタッフとの連携や、人間関係) 不思議と困ったことが思い出せません。楽しい思い出しかない。おそらく大変だったこと、困ったことはあったかもしれませんが、そのような体験の方が後々思い出され、笑い話にもできるくらいです。 言語については、ミャンマーの場合、拠点病院であるワチェ慈善病院には日本語が話せる現地スタッフが大勢いますので、ミャンマー語と日本語のミックスで会話していました。現地ドクターとは英語で話していました。 価値観は日本にいてもどこの世界に行っても、違う人は違う。国によって差はないと思っているので、そのことについては考えたこともありません。 ─ 現地で医療をする楽しみはなんですか? いろいろな人に出会えることです。ドクターに限らず、看護師、地域の方々から学ぶことは多々ありました。学歴や年齢、経験年数は違えども、優秀な人はたくさんいることに、再度気づかされました。皆さん本当に勉強熱心です。 ─ 活動地での忘れられないエピソードがあれば教えてください。 多すぎてこの紙面だけでは書ききれません。もちろんつらいエピソードはありません。 知りたい!という方は一晩かけてお話します。 ─ 帰国後はどのような活動をされていますか? 現地に口唇口蓋裂センターを立ち上げるべく、定期的にミャンマーを訪問しています。現在は月に1回くらいでしょうか。 ─ 帰国後の進路について、参加前に準備していた、戻ってくる環境を整えていた等、参加中~終了前にどういう動き(就職活動的なこと)をしたか、などありましたらお聞かせください。 帰国後の進路は決めずに行きました。なんとかなるだろうと思っていました。 上記にも示したとおり、死にゃしないだろうと。これは参考になりませんので、一個人の意見として受け取っていただければ幸いです。 ただし活動を続けるためにはお金が必要です。自分の生活と現地での活動。バランスが難しいですね。永遠のテーマです(すみません大げさです)。 ─ 今後の参加者へのアドバイスと、参加を迷われている方へ一言お願いします。 迷われている先生がいれば言いたい。とにかく行ってみて。以上です。 (ジャパンハート 2019年7月12日掲載) ジャパンハートは、ミャンマー、カンボジア、ラオスで長期ボランティアとして活動してくれる医師を募集しています。 オンライン相談会を実施中です。「医療の届かないところに医療を届ける」活動に関心のある方は、ちょっとのぞいてみてください。 〉ジャパンハート オンライン相談会ページ
#04 自分の実存を賭して、自分の言葉で語ること。
#04 自分の実存を賭して、自分の言葉で語ること。
発展途上国、日本のへき地離島、大規模災害の被災地……。世の中には「医療の届かないところ」があります。NPOジャパンハートはそんなところに、無償で医療支援を行っています。ボランティアとして参加した医療従事者が、現地での活動内容などを報告します。 長期ボランティア医師(活動地:ミャンマー) 何かを語るというときに一番大事なのは、自分が語る言明の保証人は自分しかいないと覚悟してその上で語る、ということなんだと思う。自分の言明の保証人は自分ひとりでいい。ひとりいれば十分なんだ。その人自身が、体を張って、自分の言葉の真理性を担保する限り、それだけでその言明は一定の、あくまで一定のだけど、真理性を持ちうると僕は思う。「私は自分の言葉に体を張ります」という個人がいる限り、その言葉はそれだけで十分に傾聴に値する。 『沈黙する知性』 ジャパンハートでおよそ2年間働いて、やはりすごいなあ、と感じていることがある。それは、月並みな言い方になってしまうけれど、この団体が継続していることである。この海外医療の現場で長い間働き続けることはなかなか難しい。なぜか? - ボランティアなので無給で働き続けるのが難しい - 他にももっと給料が貰える海外医療の現場はある - 日本の同期の医師たちはいろんな最新の技術を身につけていく - ここでは資格はとれない など、いろいろな誘惑が耳に入ってくるし、想像してしまう。 そして、例えばモバイルミッションに行って日々の農作業で痛めた肩痛や腰痛を訴えて受診する患者を診療しながら、「一体、自分はこんなところで何をやっているんだ」という思いが去来する。 正直に言って、この2年間、特に直近の半年間はそんないろんな思いと何度も向き合い、苦しんだ時間でもあった。国内での講演会も何度も行ったが、この本当に現場で感じていることを言葉にして伝えることはしなかった。目をきらきらさせながら海外医療の現場を聞きに来てくださる人には、なかなか話しづらい内容だから。 そして結局、一番最後に浮かび上がってきたのは、とてもシンプルな問いだった。それは最初から目の前にあり続けた問いでもあった。 それは…… 「本当に、おまえは世界の貧しい人のために自分の実存を賭したいのか?」 というものだった。これは吉岡先生のいう「自分が幸せだからやっている」と同義だろう。 海外医療の現場で働いていると、「そんなところで働いていてすごいですね」とよく言われる。それは率直に嬉しい。でも、他人に「すごいですね」と言われたいがためにやっている自分がほんの少しだけ自分の中に存在していることに気がつく。 長くここで働いてよかったのは、そういう“お為ごかし”な自分と対峙して、「自分はここで働くことで幸せだ」と感じているのか、自分の身体と心に問い続ける時間を十分に持てたことである。この問いと真摯に向き合い続けられたのは本当に有意義な時間であった。 今は、また、新しいプロジェクトを考えている。 自分の人生を費やしても成し遂げる価値があると信じているプロジェクトだ。こうしてまた新しいことに取り組めることは、本当にありがたい。 去年、一番どん底に居た時、日本で一番仲が良い友人がこう言ってくれた。 「止まない雨はないから安心せい」 やっと雨がやんだ。嵐が過ぎ去るのをじっと耐えたからこそ見えてきた風景がある。 今、こうしてミャンマーで、ラオスで、カンボジアで、貧しい患者のために診療できていることに、本当にしみじみと幸せを感じています。 (ジャパンハート 2020年2月7日掲載) ジャパンハートは、ミャンマー、カンボジア、ラオスで長期ボランティアとして活動してくれる医師を募集しています。 オンライン相談会を実施中です。「医療の届かないところに医療を届ける」活動に関心のある方は、ちょっとのぞいてみてください。 〉ジャパンハート オンライン相談会ページ
#05 言葉や文化の壁を超え、伝承されるべき医療を残したい。
#05 言葉や文化の壁を超え、伝承されるべき医療を残したい。
発展途上国、日本のへき地離島、大規模災害の被災地……。世の中には「医療の届かないところ」があります。NPOジャパンハートはそんなところに、無償で医療支援を行っています。ボランティアとして参加した医療従事者が、現地での活動内容などを報告します。 長期ボランティア医師(活動地:ラオス) ジャパンハート長期ボランティアでカンボジアで医師をしています。 今回、ラオスの「ウドムサイ甲状腺治療技術移転プロジェクト」を引き継ぐにあたり、感じたことをレポートさせていただきます。 診療活動を終えた帰りの飛行機の中、ふと見下ろせば広い山岳地帯が広がっていました。ここで生活する人々がちゃんとした医療を受けるために、必要なことは何か。どうすれば、言葉や文化の壁を超え、医療を伝承していけるようになるのか。これからのラオス甲状腺外来を任された私は、なんだか果てしない道のりを歩いていかなければならないようで、どうしたものかと考えていました。 先日ラオス、ウドムサイ県の甲状腺内科診療活動に参加しました。 この活動は医療過疎地であるラオス北部の山岳地帯に住む人々で、特に甲状腺疾患を持つ方に対して、定期的に診療を行い無償で薬を提供すると同時に、現地医療者に甲状腺治療技術を伝えるという「ウドムサイ甲状腺治療技術移転プロジェクト」です。 私はこのプロジェクトに初めて参加したのですが、以前からこの活動に携わっている、長期医師ボランティアのA先生にとっては、今回が最後の活動となりました。活動前から「ラオスの甲状腺外来を引き継ぎたい」と言われていました。 私は普段、カンボジアで診療活動を行なっており、様子を聞けば、ラオスの甲状腺診療も似たような状況であるように感じました。基本的な甲状腺機能の検査はできるがお金の関係で頻回の検査はできず、またそのほかの特殊な検査や針生検(針を刺して癌かどうかを調べる検査)ができないことは同じで、基本的な診療のやり方はいつもと変わらないから大丈夫だろう、と考えていました。 今回の活動はコロナウイルスの影響もあり、少し特別な状況となりました。 現地の政府から - 人が集まる状況を避けること - コロナウイルス感染流行国から来た医療者の活動は禁止 などの活動制限を受けました。 現地スタッフはその他にもコロナウイルスの対策として、患者に事前に症状や海外渡航歴などを電話で聞いたり、現地で感染対策を行なったりと様々な調整をおこなっており、自分が診療を行うために様々な準備をしてくれているという当たり前のことに改めて気づかされました。 活動を振り返ると、私は目の前の患者を診るのに精一杯でした。一方でA先生は英語が伝わらないラオス人ドクターに通訳を介して説明をし、一緒にエコーを行っていました。ラオス人ドクターからも信頼され堂々と活動される様子は、とても眩しく私の目に映りました。 自分で学び、自分で診療する方がよっぽど楽なのです。後輩の指導を日本語で行うことすらとてもエネルギーを使うのに、言葉が違いなかなかうまく伝わった気がしない上に、相手の文化に気を遣いながら教えるのは、ため息が出そうになることです。それでもA先生はひたすら伝え続けていました。ラオスに縁などないはずなのに。 A先生と参加できたからこそ、私はウドムサイのことをよく知ることができたと思います。早朝にウドムサイの町の中を一緒に走り、細やかな身体診察の方法を教えていただきました。そこで私は、ウドムサイの人々の生活を垣間見ることができました。 朝早くから家の周りの道路を掃除する人々。診察で気づいた、たくさんの仕事によって荒れてしまった掌。家族の病気の様子を心配そうに尋ねる付き添いの表情。そこで奮闘するドクターの姿。それぞれが家族や街を守るために生活している。なぜか私はウドムサイの人々や町を、近い存在に感じるようになりました。私はこの人たちの生活がちゃんと続くように、力になりたいと思う。 私にできることはほんの小さな手助け程度だろう。しかし私は、すでにA先生が積み重ねてきたものを引き受けてしまいました。この小さな積み重ねがラオスの人たちの生活を少しでも豊かにし、幸せをもたらしてくれるのだと信じて、私も積み重ねていき、そして後に続く人へ引き渡さねばならない。私たちが行なっていることはラオスの山奥の小さな町の中だけのことだが、こうやって受け渡していくことは、おそらく人類が医療をより高めながら伝承してきたのと同じ方法なのかもしれない。 ジャパンハートは「医療を届ける」団体です。医療とは伝承されていくものだと定義するのならば、「医療を届ける」とは患者を治療するだけでなく、伝承されるべき医療を残していくことも含まれるのではないだろうか。私はそう思います。 A先生のおかげでラオスが好きになりました。私は口下手で、説明が下手くそなのですが、私なりに積み重ねていき、自分の精一杯を込めて次の人へつなげていきたいと思います。 (ジャパンハート 2020年4月21日掲載) ジャパンハートは、ミャンマー、カンボジア、ラオスで長期ボランティアとして活動してくれる医師を募集しています。 オンライン相談会を実施中です。「医療の届かないところに医療を届ける」活動に関心のある方は、ちょっとのぞいてみてください。 〉ジャパンハート オンライン相談会ページ
#07 できることをやるしかない
#07 できることをやるしかない
発展途上国、日本のへき地離島、大規模災害の被災地……。世の中には「医療の届かないところ」があります。NPOジャパンハートはそんなところに、無償で医療支援を行っています。ボランティアとして参加した医療従事者が、現地での活動内容などを報告します。 長期ボランティア医師(活動地:カンボジア) 約2年間の活動を終えました。充実していましたがあっという間の2年間だったと思います。振り返ると楽しいことも辛いこともありましたが、いろいろなことを含めた全部の経験が、自分が医師として働いていく上で大切にしたいことを強く心に残してくれたと思います。 その中でも一番心に残っていることは「どんな患者さんにも自分のできることに全力を尽くし、患者さんと一緒に病に向き合うこと」です。 カンボジアは医療保険制度が十分ではないため、お金がなくて治療を受けられない患者さんは多いです。そういう人たちが無償で医療が受けられる病院があると聞いてジャパンハートにやってきます。たっくさんの患者さんたちを診てきましたが、覚えているのは救うことができなかった患者さんたちです。 ジャパンハートでは治療できないが大きな病院であれば治療できるかもしれないのに、お金がないために大きな病院へ行けない患者さんや、病気が進行して手遅れな状態の患者さんをジャパンハートで診ることはよくありました。そういう時、私は薬がないことや自分では治療ができないことをよく嘆いていました。 しかし、ジャパンハートのスタッフはどんな患者さんに対しても、一生懸命にケアします。ジャパンハートのスタッフは患者さんが辛い時も元気な時も、いつも味方となって頑張っています。 実際患者さんや家族からは、たとえ病気が治らなかったとしても感謝をされ、この病院で看てもらえてよかったと言う人ばかりでした。考えれば、一番悲しいのは患者やその家族であり、私が嘆いたって何も始まりません。できることをやるしかないのです。 そんな当たり前のことを何度もスタッフの姿勢から再認識し、今では自然と自分ができることに目を向けることができるようになったと思います。これから患者さんのことで何か困った時には、ジャパンハートでの経験が僕に大切なことを思い出させてくれるはずです。 一方で、自分の力不足を痛感した2年間でもありました。患者さんの中には、経験や技術のある医師ならば治療や手術ができるはずなのに、私にはその力がないために治療できず、大きな病院へ搬送した人もたくさんいました。そういう患者さんに出会った時には、悔しく申し訳ない気持ちになりました。私はこれから自分のできることを増やすために日本で修行したいと思っています。 最後になりますが、一緒に活動した素晴らしいスタッフの方々や、いつも手伝ってくれたカンボジア人スタッフ、また私を送り出してくれた家族に本当に感謝しています。いつかまた自分が成長し、途上国で医療支援ができる日を思い描きながら、また新しい場所で挑戦していきたいと思います。 (ジャパンハート 2021年3月22日掲載) ジャパンハートは、ミャンマー、カンボジア、ラオスで長期ボランティアとして活動してくれる医師を募集しています。 オンライン相談会を実施中です。「医療の届かないところに医療を届ける」活動に関心のある方は、ちょっとのぞいてみてください。 〉ジャパンハート オンライン相談会ページ
#03 必要な経験だと心から思ったなら『一歩を踏み出すこと』。そこからです。
#03 必要な経験だと心から思ったなら『一歩を踏み出すこと』。そこからです。
発展途上国、日本のへき地離島、大規模災害の被災地……。世の中には「医療の届かないところ」があります。NPOジャパンハートはそんなところに、無償で医療支援を行っています。ボランティアとして参加した医療従事者が、現地での活動内容などを報告します。 - 専門科(経験科):家庭医 / 救急 / 総合診療 - 医師歴:6年目(2018年4月現在) - ジャパンハートでの活動期間:2018年4月~2019年3月 - 活動地:カンボジア ウドン(拠点)、ラオス パークグム & ウドムサイ、インドネシア スラウェシ島 ─ 活動地での業務内容・役割を教えてください。 カンボジアウドンにあるジャパンハート子ども医療センターでは成人患者さんの診療も行っています。 僕の役割は主に成人病棟に於ける外来患者さん、入院患者さんの診療、カンボジア人医師の教育(と言いましても、僕自身わからないことも多く、共に学び合う同僚という感覚でした。)、院長不在時の成人病棟のマネージメント全般(診療マニュアル作りや他スタッフとの調整など)でした。時に手術の際に麻酔医や助手の役割を担ったりということもありました。 その他、これはそこにいる誰もが担うことですが、ガーゼなどの診療に必要な物品を作ったりという様なことも行いました。現場で必要なことに関しては、基本的に自分にできることはやる!できないこともその場で学んでやる!という感じでした!また、院外での市民、学生向けのBLS講習や他施設の見学、他国への派遣(ラオスでの短期の外来診療、インドネシアへの災害救護支援など)もありました。 他、個人的にクラウドファンディングに挑戦して、オリジナル手洗いソングを制作し(こちらから聞けます!)、地域の子ども達への衛生教育を目的とした手洗いイベントを開催したり、カンボジアという国についてもっと知るために、『Cambodia Meetup』という異業種交流会を後半半年で毎月開催したり、カンボジア全土でBLSの認知度を上げるために、アニメーション制作会社と連携して、カンボジアオリジナルのBLSに関するアニメーションを制作したり、自分の課題意識に対して、解決するために何ができるかを考えながら、色々な活動を行いました。もちろん限られた時間の中で課題解決までには至りませんでしたが、院内で手洗い習慣を築けたり、今後の自分自身の活動にもつながりました。 ─ ジャパンハートで活動を始めた理由を教えてください。 きっかけは実にシンプルで、2017年3月にとある飲み会の場で『一回、途上国に行ってみたら良いと思うよ!』とある先生から言って頂いた事でした。 その瞬間『今行かなければいけない!』という想いが溢れたため、その日に行く事を決めました!ジャパンハートを知ったのはその先生がジャパンハート長期ボランティア経験者だったからです!偶然というか必然というか!そこから出発までの準備期間の1年間に色々と考える中で、ボランティアへの参加に期待する様になったことは『日本における”当り前”がない環境で、医師として、人として、患者さんや家族、地域、その国のために自分に何ができるのかを体感したい』『経済的な格差=命の格差となる状況がどういう状況なのか、自分自身で体感してみたい』という2つのことでした。 ─ 参加までのハードルや解決すべき課題など(仕事・お金・家族の説得など) 1番のハードルは『一歩を踏み出すこと』だと思います。もちろん、お金の面や仕事の面、家族の説得もとても大切です。僕の場合、既婚なのですが、妻に決意を述べたところ2秒で了承してくれるという恵まれた環境ではありましたが。仕事は辞めて、無給で参加しました。それでも、参加してしまえば何とかなります。 言語なども含め、不安を上げ始めればきりがないですし、その準備ができるのを待っていると、時間は刻一刻と過ぎてしまい、結局、行けなかったということになります。自分の今後にとって必要な経験だと心から思ったならば、事前準備以上に後先考えずに一歩を踏み出すということが一番大切かもしれません。 ─ 言語・価値観・が違う現地の方々、また駐在している日本の医療者との活動で困ったこと、また工夫などありましたら教えてください。 僕の場合は、人間関係で困ったのは現地スタッフよりも駐在している日本人スタッフとだった様に思います。 困ったと言うよりも僕自身の非であり反省点です。理解しているつもりでしたが、どこかで同じ日本人だから同じ価値観や課題意識を持っていると思い込んでしまい、また、1年という限られた時間に焦りを覚え、自分の課題意識や想いを一方的に押しつける様な事をしてしまいました。自分よりも長く滞在して、本当の意味で現地に貢献すべく日々奮闘している先輩達に対してです。 結果、現場の空気を乱してしまいました。関係性を再構築するためにスタッフ一人一人との『コミュニケーション』をより意識的に行いました。それを通して、現場の課題やニーズ、スタッフ一人一人の想いなどを知る事ができ、自分がどうあるべきなのかが見えた様に思います。 その経験から何をするでも現場の『ニーズ』をまず第一に大切にしないと、それは独り善がりなことであり、現場にとって迷惑でしかないことになり得るという事を理解しました。『自分』ではなく、『相手』を第一に考える事がとても大切であり、それは、途上国支援だけでなく、国内における活動に於いても言える事だと思います。この経験も僕にとって大きな学びとなりました。 カンボジア人スタッフとはそもそも宗教や言語、価値観も違い、わからない事だらけだという前提で心がけていたので、初めからコミュニケーションを密にとることを意識していました。わからないことはきちんと聞く。そうするとみんなとても親切に教えてくれます。それを通して信頼関係も築いて行けたと思います。その中でも特に価値観や環境という部分での違いに関しては、たとえそれが日本ではありえない事であったとしても、自分たちの価値観を押し付けるのではなく、現地の考えを受け入れる、そこに順応する事を意識しました。 もちろん良くできる部分は一緒に良くできるように働きかけますが、あくまでも『自分たちは今、日本ではなく、カンボジアにいる』という事を意識しました。もう1つ言うなら、自分たちは一時的にそこにいるだけの異国の人間であり、今後、カンボジアに直接的に貢献していくのはカンボジア人スタッフであり、継続的な支援のためにも、自分の利益の為に、カンボジア人スタッフの機会を奪う様なことはしないと言う事を意識しました。 僕が自分1人で好き勝手に診療するだけでは、自分がいなくなった後に、同じ質の医療を維持することは難しくなります。なので、必ず、カンボジア人医師と一緒にというのを意識しました。実際には、それも初めての事で上手く行ったり上手くいかなかったりで反省するところが多いのですが。 ─ 現地で医療をする楽しみはなんですか? 『人』を専門とする身としては 1. 日本では経験できない様な疾患、状態の患者さんの診療ができること 2. 限られた人材しかいないため、専門に関係なく、全ての患者さんを診療できること 3. 限られた資源の中での診療となるため、自分の五感やアイデアを駆使して診療を行うことが求められること(アイデアに限界はない。) 4. 日本とは全く違う環境で暮らしている人々を相手にするため、日本の地域医療以上に社会背景や価値観を意識した全人的な医療提供が求められること 5. 様々な価値観を持ったスタッフと一緒に活動ができること が、途上国診療を経験する上での醍醐味だった様に感じます。 途上国での医療は究極の地域医療でした。 ─ 活動地での忘れられないエピソードがあれば教えてください。 1年という期間での経験は、とても多彩で色濃く、忘れられないエピソードは挙げ始めればきりがないのですが、強いて一つ選ぶとしたら、カンボジアという国で1人の患者さんを病院で看取った経験です。 カンボジアでは宗教柄か、人々の間で病院で死ぬことが良しとされない様です。病院で亡くなってしまった場合、ご遺体を自宅へ連れて帰ると、死者を村や家に招き入れたと考えられ、不吉なこととされるそうです。その為、多くの患者さんや家族が、治療を行なっても助かる見込みがないのであれば、生きてる内に自宅に連れて帰りたいと希望されます。その為、治療できる可能性がまだゼロでなくても、治療を途中で止めて、自宅に帰るのを見送らなければいけないことも沢山ありました。それは赤ちゃんからおじいちゃん、おばあちゃんまで例外なくです。 医療者としては、もっと当院で治療できたのではないか、もう少し続けていたら良くなったかもしれない、などといった想いはどうしても残ってしまいます。 帰宅を見送る時はいつも力及ばず、申し訳ない気持ちでいっぱいになります。 しかし、何よりも患者さん、そして家族の「価値観」を優先すべきでありその見定めの時期は逃さない様にしないといけないと思っています。そんな中、僕たちの病院で最期の時まで診て欲しいと言ってくれた患者さんが1人だけいました。 その女性は37歳という若さでこの世を去りました。 元々プノンペンの大きな病院で原因不明の重症慢性心不全で治療を受けていた彼女ですが、経済的に治療費を払えなくなり、治療中断となってしまいました。 ある時、呼吸状態が悪くなったため、僕たちの病院を訪れました。その時点で、全身状態が良くないのはもちろんですが、それ以上に精神的にも疲弊していました。医療に対しても不信感が募っていたと思います。スタッフの献身的なケアの甲斐あって、順調に回復、退院することができました。 その後も、定期的に外来通院してくださり、その度にお礼にと、たくさんの物を病院に持ってきてくださいました。いつも笑顔いっぱいで受診してくれる彼女に、僕の方が癒されていました。一時は落ち着いている様に思われた彼女でしたが、ある日急変し、緊急受診されました。ただ、厳しい状態であることは間違いなく、医療資源、マンパワーの乏しい僕たちの病院では対応が難しい状態でした。大きな病院への転院または最後を自宅で過ごしたいという希望がある場合には早い時点での自宅への帰宅を本人と旦那さんに提案させて頂きました。しかし、彼女、そして家族の希望は「ここで最期まで診て欲しい。ここにいたい。」ということでした。 カンボジアでの価値観を理解しているからこそ、医療者としてどれ程光栄なことか、その言葉の意味するところを強く感じました。 その日の夜に、僕と夜勤看護師さんの目の前で彼女は息を引き取りました。 側で眠っていた家族に声をかけ、2018年7月9日04時55分。彼女の最後の時を見届けさせて頂きました。旦那さんの許可を頂き、スタッフ10数名でお葬式に参列させて頂きました。 お葬式は自宅で催されました。実際にご家庭を見せて頂くことで、家族の生活の様子が脳裏に浮かび、お葬式の間中、想いに耽っていました。僕にとってもスタッフにとってもとても特別な経験で、それぞれ色んな想いに耽ていたことだと思います。葬式の間中、終始嬉しそうに笑顔を見せてくれる旦那さんの顔から、スタッフが如何に献身的なケアを行っていたかということが伝わってきました。 その後も、一部のスタッフからは「もっとこうしてたら」という後悔の相談がありました。僕自身、「もっと」を言い出すとキリがないくらい悔やむところはあります。 それでも、お金がなく、生活も厳しい彼女と彼女の家族の「最後までここで診て欲しい」その想いを叶えることができたのは、一つ誇っていいことなのではないかとも感じています。そして、選択肢がないからということもありますが、最後には医療者に委ねず、自分たちで生き方を決めるカンボジアの方々を間近でみていて、最後に大切なのはやはり家族なんだなと日々感じています。(「選択肢があれば医療に縋るが選択肢がない」と、あるカンボジア人の方が教えてくれました。)この方も場所は病院でしたが、最後までずっと家族がそばにいました。そこに「正しい」「正しくない」はないのですが、日本も昔はこういう文化があったのかなー。と、少し寂しくなる時があります。 色々なことが「選択できてしまう」環境にいるからこそ、「何が自分たちにとってより大切なもの」なのか、一人一人が責任を持って選択することが必要となっている気がします。そこに医療者への信頼があって、自分たちで選択して「最後を迎える場所は家族と共にここ(病院)がいい」と言ってくれるのであれば、医療者としてこんなに嬉しいことはありません。色んな意味で感慨深い忘れられない経験となりました。 ─ 帰国後はどのような活動をされていますか? 帰国後に関しては、僕の場合は少し特殊かもしれません。僕はジャパンハートに入る以前から、医師としての病院での診療と特定非営利活動法人の代表としての活動の二足のわらじを持っていました。 医師としての働きどころも正直なところ、準備はしていなかったですが、元々いた地域の病院あるいは法人の拠点がある九州の地域で、受け入れてくれるであろう場所があり、あまりそこに不安がなかったのが正直なところです。もちろん可能であれば、帰国後に帰る場所もある程度準備しておくに越した事はないとは思いますが、カンボジアでの経験を活かせる場所は日本国内でも沢山ありますし、ジャパンハートに参加した後に、働く場所に困ったという話は今の所聞いた事がないため、あまり心配しなくてもいいのではないかなとも思います。途上国での医療に触れる事で、自分自身の価値観も変わり、結局準備していたけど、そのまま現地に残ったり、全く違う道を進み始める人もいるので。 帰国後の僕は、東京都の元々いた地域にあるクリニックで、一般外来・在宅診療を含めた地域医療に携りつつ、カンボジアにいる間中断していた、総合診療専門医後期研修を再開し、専門医を修得するべく日々励んでいます。また、特定非営利活動法人の活動として、北九州市を中心に社会福祉法人さんとの医福連携事業、北九州市との官民連携事業、教育機関との連携事業などを通して、北九州市で暮らす人たちと共に、みんなで支え合う地域医療の実現を目指して、様々な活動を行っています。近い将来、僕自身も北九州市に戻って、北九州市で地域医療に従事していこうと思っていますので、その準備も行っています。 また、カンボジアでの1年間の経験をお話する機会を頂き、色々なところで講演会をさせてもらっています。講演会は色々な人に途上国の現状を知ってもらって、関心を持ってもらうだけでなく、伝える事を通して、僕の中でも1年間の経験が整理され、自分のものになっていくのを実感でき、とてもありがたい機会となっています。貴重な経験をさせてもらったからこそ、沢山の人にそれを共有することも僕の役割だと感じています。 その他、現在も2-3ヶ月に1回カンボジアを訪れて、現地調査を行っています。6月にもプノンペンを中心に訪問看護・訪問介護事業を独自に展開しているカンボジア人看護師さんに、患者さん宅訪問に同行させて頂きました。異国間の交流は、各々の国を客観視することで、互いの国をより知る事につながると感じています。これからも定期的にカンボジアを訪れながら、日本-カンボジアの両国で互いに学び合える交流ができるような仕組み作りを行っていけたらと思っています。その中で、外にいるからこそできることを模索しつつ、ジャパンハートの活動にも貢献できる様なことをしていきたいと思っています。 ─ 今後の参加者へのアドバイスと、参加を迷われている方へ一言お願いします。 参加者へのアドバイスとしては、異国のために何かをしようとか、支援をしようとか考える必要はないです。というよりも、1年間いても何もできなかったというのが正直な感想です。それでも、カンボジアの人たちは僕から何かを感じてくれましたし、僕自身は本当にたくさんのことを学ばせて頂きました。お互いに交流を通して学び合う。それでいいんだと思います。一方通行の支援なんてありえないというのが、この1年間で僕が学んだことの1つです。 また、今、参加を迷われている方は、直感的に『行った方がいい!』『行きたい!』って思えたのであれば、ぜひ色々悩む前に一歩を踏み出してみて下さい。違ったら途中で帰国すればいいんです。やる前に悩んでても何もわかりません。やってみてはじめて見える景色があります。 もちろん、行く前に色々準備をする期間も必要です。半年から1年くらい必要かもしれません。だからこそ、それ以前に悩んでいたら結局行けなかったというようなことになりかねません。『半年後、1年後から行く!』と決めて、明日から具体的に準備を始めましょう。そうしてカンボジアへ行った1人としてこれだけは言えます。行ってよかったと思えることはあっても、後悔することは絶対にありません。 (ジャパンハート 2019年7月23 日掲載) ジャパンハートは、ミャンマー、カンボジア、ラオスで長期ボランティアとして活動してくれる医師を募集しています。 オンライン相談会を実施中です。「医療の届かないところに医療を届ける」活動に関心のある方は、ちょっとのぞいてみてください。 〉ジャパンハート オンライン相談会ページ
#08 そもそものお話・・・甲状腺疾患ってどんな病気?
#08 そもそものお話・・・甲状腺疾患ってどんな病気?
発展途上国、日本のへき地離島、大規模災害の被災地……。世の中には「医療の届かないところ」があります。NPOジャパンハートはそんなところに、無償で医療支援を行っています。ボランティアとして参加した医療従事者が、現地での活動内容などを報告します。 長期ボランティア医師(活動地:ラオス) ラオスでは甲状腺疾患の診療活動を行っています。この事実は、多くの方にご存知頂いているかと思いますが、そもそも甲状腺疾患がどんな病気なのかについては、これまでにもあまり紹介していませんでした。 そこで今回は、甲状腺疾患や、ラオスで行っている診察の特徴についてご紹介したいと思います。 甲状腺は首にある臓器で、甲状腺ホルモンを作ります。このホルモンのおかげで私たちの体は成長したり、働きを保ったりすることができます。 たとえばこのホルモンが過剰に分泌されるようになれば、異常にあらゆる体の働きが活発になり、よく汗をかいたり、ドキドキしたり、体が震えたり、下痢をするようになります。このような状態を甲状腺機能亢進症といいます。逆にホルモンの分泌が不十分になれば、皮膚は乾燥し、脈は遅くなり、何をするにも意欲が湧かなくなり、便秘をするようになります。このような状態を甲状腺機能低下症といいます。 また、ホルモンの異常はないが、甲状腺に腫瘤ができることがあります。 私たちは主にこの3つの病気「甲状腺機能亢進症」・「甲状腺機能低下症」・「甲状腺腫瘤」を診療しています。 日本では各地域に病院があり、甲状腺の血液検査や腫瘤が癌かどうかを直接針で細胞をとって調べる検査ができます。しかし、ラオスではそうはいきません。いろいろな制限がある中で、日本で診る時と同じようにという訳にはいきませんが、工夫をしながら診療を行っています。 例えば甲状腺機能亢進症に対しては、過剰なホルモンの分泌を抑える飲み薬を使いますが、通常は血液検査を照らし合わせながら薬の調整を行います。ところが、ラオスでは頻回のフォローアップや血液検査は難しいため、患者さんの症状や身体所見とエコー検査の所見を見ながら薬の調整を行います。薬の飲み方や副作用に関しても、しっかり説明します。なぜなら、田舎の方に住んでいる患者さんは簡単には病院にはかかれないため、注意してほしいことを必ず理解しておいてもらわなければならないからです。 また、甲状腺腫瘤のある患者さんは、エコー所見から癌の可能性を判断します。もちろん、100%正しいとは限りませんから、再診を行って腫瘤が大きくなってくるか、また腫瘤による症状があるかどうかなど総合的に考えて手術を決定します。 このように日本とは違う環境だからこそ、臨機応変に検査や治療を考えます。発展途上国で医療を行う上で難しい点でもあり、醍醐味でもあります。 現在は、新型コロナウイルスの影響で私が実際に診療に行くことはできていませんが、現地の医師が甲状腺疾患を診療していて難しい症例や困った点があれば相談を受け、一緒に調べて考える。というような立ち位置でサポートを続けています。 現在の状況が良くなり、また現場に行って直接患者さんの様子や現地医師と交流する日が来ることを、心待ちにしています。 (ジャパンハート 2021年4月26日掲載) ジャパンハートは、ミャンマー、カンボジア、ラオスで長期ボランティアとして活動してくれる医師を募集しています。 オンライン相談会を実施中です。「医療の届かないところに医療を届ける」活動に関心のある方は、ちょっとのぞいてみてください。 〉ジャパンハート オンライン相談会ページ
#09 たとえささやかであれ、自分に「できる」小さな事を見くびらない。
#09 たとえささやかであれ、自分に「できる」小さな事を見くびらない。
発展途上国、日本のへき地離島、大規模災害の被災地……。世の中には「医療の届かないところ」があります。NPOジャパンハートはそんなところに、無償で医療支援を行っています。ボランティアとして参加した医療従事者が、現地での活動内容などを報告します。 長期ボランティア医師(活動地:ラオス) むやみにあせってはいけません。 ただ牛のように図々しく 進んでいくのが大事です。 『漱石書簡集』 ジャパンハートに入ってからは、現地のニーズに合わせて何を学んでいくのか変化させる必要があった。現地で生活を送る中で、現地の生活習慣・死生観・医療制度・救急医療体制・医療過疎などを知り、そこで一番何が求められているのかを把握し、そしてそのニーズに応えるために、自分が「やりたい」ことではなくて、自分が「できる」ことを模索してきた。 それは自分にとっては、例えば、小児麻酔・外科手術・腹部エコー・甲状腺診療・健康診断・BLS講義・内視鏡通訳などであった。 その中の1つがラオスでの甲状腺診療であった。ラオスでの甲状腺診療と日本のとは少し異なる。 例えば、日本とラオスの甲状腺診療の差は: 内陸国でヨード不足のため、甲状腺腫が多い地域である(endemic goiter) 100km以上離れた北部の患者は曲がりくねった山道を12時間〜1日バスに揺られて来るため、外来では車酔いになっている患者が多い 田舎の少数民族の患者は公用語のラオス語が話せないので、現地語➡ラオス語➡英語と2名の通訳を介して診療することがある 甲状腺機能検査(TSH,fT3,fT4)の結果は、次回数ヶ月後の外来にわかる(ただし、緊急の場合は、当日〜翌日に結果をもらえる) 甲状腺の自己抗体検査ができない(TSHレセプター抗体・TSH刺激性レセプター抗体など) 甲状腺穿刺吸引細胞診(FNA)や甲状腺シンチグラフィーの検査はできない 山岳北部の村で甲状腺ホルモンの薬が購入できないので、甲状腺全摘術が困難な場合がある 頻回受診は難しく、3ヶ月ごとにフォローアップをする このため、一般的な甲状腺ガイドラインに記載されているフローチャートに則った甲状腺診療ができないため、「ウドムサイ病院で実施可能な甲状腺診療」というオリジナルな甲状腺の診療体系を作り上げる必要がある。 ただし、その診療自体が恣意的なものであってはならないため、できるだけガイドラインや医学論文から情報を元に、ラオス医師にも納得して貰えるようなスライドを作成して、それを参照しながら甲状腺診療を行う。 「なぜ、抗甲状腺薬を処方するときに副作用の説明が必要か?」 「なぜ、甲状腺全摘をしたときに甲状腺ホルモンを内服し続ける必要があるか?」 「なぜ、甲状腺ホルモンの採血だけでなく、問診・身体診察が大事か?」 こうした疑問に対して繰り返し答えることで、ラオス医師たちの他の分野での日常診療の質も向上するはず、たぶん。日本で甲状腺疾患なんて数症例しかみたことがなかった自分が、こうしてラオスで甲状腺診療にどっぷり浸かっているなんて、昔は想像もできなかった。 ラオス甲状腺診療の目標は、最終的にジャパンハートが撤退するときに、現地のラオスチームが質の高い甲状腺診療・手術を行うことができるようになることだ。 今、ラオス医師が自信を持って甲状腺診療をしている姿を見ると、 「自分のしていることはささやかだけど、自分にできるちいさな事を見くびらずに、牛のように進む」ことが大事なんだと実感している。 (ジャパンハート 2020年2月12日掲載) ジャパンハートは、ミャンマー、カンボジア、ラオスで長期ボランティアとして活動してくれる医師を募集しています。 「医療の届かないところに医療を届ける」活動に関心のある方は、ちょっとのぞいてみてください。 〉ジャパンハート オンライン相談会ページ
#10 貧しさの風景
#10 貧しさの風景
発展途上国、日本のへき地離島、大規模災害の被災地……。世の中には「医療の届かないところ」があります。NPOジャパンハートはそんなところに、無償で医療支援を行っています。ボランティアとして参加した医療従事者が、現地での活動内容などを報告します。 長期ボランティア医師(活動地:ミャンマー) 「木村さん、暗いところにおると、明るいところはよう見えるやろ。でもな。明るいところにおったら、暗いところは全然見えへん。 明るいところにおって、暗いところを見よう思うたら『見よう』と思わな、見えへんのや」 『「みんなの学校」が教えてくれたこと』 木村泰子 バブル崩壊後、日本はどんどん貧しくなり、その斜陽化には止まる気配がない。 一方、ミャンマーはどうだろうか? ILO(国際労働機関)の統計調査によれば、2018年のミャンマー人の平均月収は203,091 MMK(15,492 円)であった。同年の日本の平均月収306,200 円と比較すれば、ミャンマー人の月収は日本のおよそ1/20である。 https://ilostat.ilo.org/data/country-profiles/ そんな貧しい国で、最近出会ったふたりの貧しい患者の話をします。 Episode1 先日、Mogokというマンダレーから200km離れた町にドクターカーで診療に行きました。合計3日間で300名程度の外来患者が受診されましたが、中年の彼がやってきたのは2日目でした。 診察のカーテンを除けて入ってきた姿を見た瞬間に、Acromegaly!、と分かるほど典型的な下顎骨や眉弓部・四肢末端の肥大を認めました。問診では両耳側半盲も出てきているとのことでした。彼はすでに2017年にマンダレーの病院にかかっており、Acromegaly(先端巨大症)が疑われるので、その多くの原因である下垂体腺腫を検索するための頭部MRIを含む各種検査を受けるように勧められていました。 しかし、彼はそれ以来病院に行っていません。その理由は、検査や治療で200,000 MMK(15,000 円ぐらい)がかかるため、これ以上は自分には支払えない。膝が悪く仕事はできず、息子たちから毎月20,000〜30,000 MMK(1500〜2250円ぐらい)の仕送りで生活しているとのことでした。 もし、彼が日本に生まれていたら、、、 国民皆保険制度を利用して、頭部MRIをとって、Hardy手術して、まだまだ生きられるはずなのに・・・。(先端巨大症の放置例や経過観察例では予後は悪く、最大で89%の患者は60 歳までに死亡する。) 今度、彼はワチェ慈善病院で手術をします。といっても、腹部と大腿部にある大きな脂肪腫の手術です。そもそもこれらを取ってほしい、という主訴でMogokの外来にも来たのです。 自分はよく知っています。 ふたつの脂肪腫の手術をしても、彼の生命予後は伸びないことを。 彼が長生きするために必要なのは、頭部MRIと(おそらくは)下垂体腺腫摘出術であることを。 でも、一通りの問診と診察を終えて、脂肪腫の手術をワチェでします、と伝えると、彼は不揃いな歯をにっとして僅かに笑いました。 その瞬間、あーーーっ、と心の中で思いましたが、あーーーっ、の後にどういう言葉が続くのかはよくわかりませんでした。 Episode2 3日前、ミャンマー人研修医からの外来コンサルト。20歳代女性、2年前からの毎食後に繰り返す、1時間持続する右上腹部痛。嘔吐を伴うこともある。ここ数ヶ月の間に腹痛は増悪し、その頻度も増えてきたためワチェの外来を受診。 研修医の病歴を聞いた時点で、おそらくはGallbladder Attack(胆石発作)だと思うよ、と説明しながら、Murphy徴候が陽性であることを確かめて、腹部エコーで胆のう内にsludge(胆泥)が大量にたまっているのを見せました。 発熱や胆のう壁肥厚はないから、細菌感染による胆のう炎は来していないと思う、この人に必要なのは腹腔鏡による胆のう摘出術だよ、と説明しました。 そう説明しながら、患者が持参した過去のカルテを見ていると、どうやらそういう診断や治療の問題ではないということが分かってきました。患者はすでにマンダレーで腹部エコーをされ、胆泥による胆石発作と診断を受けていました。 通訳してもらって彼女から事情を伺うと、マンダレーで手術を行うには200,000 MMK(15,000 円)ぐらいかかる。でも自分にはお金を支払う余裕がない。夫は居なくなり、ふたりの子供と生活し、毎日ホウキを編んで生計を立てているというのです。 この時も、あーーーーーーっという思いがまた脳内を駆け巡りました。でも、それは何も生み出してくれませんでしたし、何も残していってくれませんでした。 もし、彼女が大阪で生まれ育っていれば、、、 堺市立総合医療センターで見た鮮やかなラパ胆で30分〜1時間で胆のうをきれいにとってもらえるはずなのに・・・。でも、残念ながら、現実は違い、彼女はミャンマーの田舎で生まれ育ちました。 次の5月に、イタリアの腹腔鏡のチームがワチェに来るので、彼女にはそれまで痛み止めで我慢してもらうしか方法はありません。今から3ヶ月、1日5回の1時間続く右上腹部痛や嘔吐に彼女は我慢しなければなりません。そして、子供に飯を食わすために、ホウキも編み続ける必要があります。 そういう説明を聞きながら、彼女は両目に涙を浮かべます。でも、決して声をあげて大泣きしたりはしません。泣いたってこの現実は厳然と彼女の前に立ちはだかっていることを彼女自身がよくわかっているからでしょう。 これが、ミャンマーの貧しさの風景です。 ミャンマーの市場で働く女性 (ジャパンハート 2020年3月9日掲載) ジャパンハートは、ミャンマー、カンボジア、ラオスで長期ボランティアとして活動してくれる医師を募集しています。 「医療の届かないところに医療を届ける」活動に関心のある方は、ちょっとのぞいてみてください。 〉ジャパンハート オンライン相談会ページ
#11 「ホワイトボードの前に立つ」ことの大切さについて
#11 「ホワイトボードの前に立つ」ことの大切さについて
発展途上国、日本のへき地離島、大規模災害の被災地……。世の中には「医療の届かないところ」があります。NPOジャパンハートはそんなところに、無償で医療支援を行っています。ボランティアとして参加した医療従事者が、現地での活動内容などを報告します。 長期ボランティア医師(活動地:ミャンマー) 3月末からミャンマーへの外国人の入国制限が始まったので、4月から日本に一時帰国しています。帰国後は、自分が大学生だった時に発展途上国医療の現場で働いている医師から直接話を聞ける機会がほとんど無かったので、できるだけ多くの若い人に発展途上国で総合診療医として働いている「手触り」を伝えようと思い、総勢40名ぐらいの知り合いの医療者ひとりひとりに『発展途上国医療の現場から~』という活動報告会を開催させて頂けないかお願いしました。 でも、コロナのせいで、最初はOKとおっしゃってくださっていた活動報告会も、最終的にはすべて中止になってしまいました。とても残念です。でも、最近ようやくコロナが落ち着いてきて、また活動報告会をできる場所が無いかと探しています。 なぜ、こんなに活動報告会をしたいのかと言えば、もっと多くの若い人たちに発展途上国医療の現場に飛び込んで来て、発展途上国の社会問題を解決するのに一緒に協力して欲しいからです。そして、この現場で働いていると、日々学びがあり、楽しいからです。 こんなことを熱心に語っていると「君もまだ若いんだから、今からそんな老成したこと言って~」と冷やかされることがあります。まだそんな何かを語れるような年齢では無いだろう、というわけです。 でも自分は、齢をとったから何かを語れるようになるのではないと思っています。 村上龍は24歳で『限りなく透明に近いブルー』を書き、村上春樹は29歳で『風の歌を聴け』を書き、ゲバラは30歳でキューバ革命を起こしました。そんな彼らに「君もまだ若いんだから~」なんていう人はいません。伝えるべきことがあれば、何歳であろうが伝えられる。 じゃあ、もし、伝えるべきことがなければどうすればいいのだろうか? ジャック・ラカンは、「人は知っている者の立場に立たされている間はつねに十分に知っている」と言います。例えば、教師は何か特別な知識や技術があるから教えられるわけではなく、この人は私たちが何を学ぶべきかを知っている、という確信を持つ生徒の前に立つ限り、すでに十分に教師としての役割を果たしています。 つまり、誰だって「ホワイトボードの前に立つ」ならば教える人になれるということです。 『十五少年漂流記』の少年たちは無人島に漂着したのちに、住居と食糧を確保すると、次に学校を作りました。教師となった少年と生徒となった少年たちの年齢差はわずか5才。14才の年長者が、9才の年少者に比べて優れた知識・技能を持っていたとは思えません。でも、年長者がホワイトボードの前に立ち、ワクワクしている年少者に語るだけで学びの場は成立しました。 そして、教育の現場ではとても不思議なことに、年少者が学んだことが年長者が教えたことをはるかに凌駕することがあります。 元生徒「あの時に先生に言われたあの言葉が、とても心に残って・・・、それを突き詰 めるためにこの分野を突き進んで行ったらこうなったんです!」 元先生「う~ん、そんな事教えたかな~(笑)」 こういうことはよく起こり得ます。自分が教えていないことを生徒が勝手に学び取っていく、こういう教育の可能性を信じていることは教育に関わる人たちにとってとても大切だと確信しています。 だから、語れることがあろうと無かろうと、「ホワイトボードの前に立って」活動報告会をしたいと思っています。Happy! (ジャパンハート 2020年5月21日掲載) ジャパンハートは、ミャンマー、カンボジア、ラオスで長期ボランティアとして活動してくれる医師を募集しています。 「医療の届かないところに医療を届ける」活動に関心のある方は、ちょっとのぞいてみてください。 〉ジャパンハート オンライン相談会ページ