第2章 第2話 太郎さんが望んでいた最期の迎え方
心不全患者に、私たちができること―緩和ケアの現場から―

第2章 第2話 太郎さんが望んでいた最期の迎え方

第2章:果たされなかった約束

第2話:太郎さんが望んでいた最期の迎え方

「実は、父は蘇生措置を希望していなかったんです」
冠動脈の高度狭窄で心停止に陥り、蘇生措置で一命を取り留めた赤村太郎さん(70)の長男正さん(45)は、主治医の田川賢治医師(30)にそう言った。

4年前にくも膜下出血のために64歳で亡くなった太郎さんの妻(正さんの母)のことが関係しているという。
妻の状態は最初からかなり悪かったが、太郎さんは治療を熱望した。医師や看護師は懸命に治療を行ったが効果はなく、体に繋がる管は徐々に増えていった。そのまま意識は戻らず、半年間の闘病の末に病院で亡くなった。

妻の三回忌の準備をしている時、太郎さんは「もし自分が悪くなっても、一切の蘇生措置は行わないでほしい。母さんみたいな治療は望まない」と正さん夫妻に話したという。

「本当は入院をした時にお伝えした方がよかったんでしょうけど、今回は足の病気だと思っていたので、まさかこんなことになるとは考えてもいませんでしたから。それに、そんなことをいきなり先生に言っても困るでしょうし。でも、蘇生措置をしてもらったことはありがたいと思っています。こうして生きている父と会えたのですから……」
正さんの話す姿には無念さがにじみ出ており、田川医師は言葉通りに受け止めることはできなかった。

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「入院時に赤村さんとDNAR(do not attempt resuscitation:心肺蘇生を行わないこと)の話をしておけばよかったと、そのことばかり考えてしまうんですよ」。病院のカフェの天井を遠い目で見ながら田川医師が言った。

「そんなに自分を責めないでください」。向かいの席に座っている緩和ケアチームの山崎直樹医師(43)が静かに言葉をかける。「もちろん、入院時にDNARについての書面を過去に作ったことがあるかどうかを確認するのはとても大切なことです。ただ、もしあったとしても、患者の気持ちがその時点で変わっていない保証はありませんし、救急外来で無理に指示を決めてもらう必要はありません」

「DNARは大きく3つのパターンに分けられるんです」。山崎医師は詳しい説明を続けた。

1つ目は「あらかじめ価値観などについての話し合いが適切なプロセスで行われた上で、DNARを患者本人・代理意思決定者が希望する場合」だ。事前に価値観や人生観をゆっくり話し合った上で、本人から確認が取れるのが理想だ。

2つ目は「患者・代理意思決定者に対し、医療者からCPR(心肺蘇生法)の中止を推奨する場合」。救急現場では医療者も家族もDNARについて冷静に考えられるものではない。ただ、医療者は、CPRで蘇生する見込みが少なかったり、蘇生してもものすごくQOL(生活の質)が下がる可能性が高かったりすることを想像できる。そういう時に、代理意思決定者にDNARについて話をする必要がある。

3つ目は「CPRが無益なものと考えられ、医療者から一方的に中止する場合」だ。30分くらいCPRをしたり、がん末期でCPRの効果がほぼないと考えられたりする際にこれが当てはまる。

田川医師は山崎医師の説明を聞きながら、「太郎さんは1つ目のパターンで、本人からも家族からもDNARの意思が確認できたはずだ」と振り返っていた。

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太郎さんがICUに入室してから5日間が経過した。改善の見込みがないことは明らかだった。ECMO(注)を外す前段階として徐々に出力を落とす「weaning」を試みると血圧が下がってしまう。さらに、MRSA肺炎や腎不全も併発した。

救命処置を希望していなかった太郎さんは、治療を受けながら延命し続けるこの状況をどう思っているのだろう。
人工呼吸器とECMOの駆動音が響くICUで、田川医師は意識がない患者を前に途方に暮れていた。

(注)ECMO
経皮的補助循環装置。心臓や肺が悪く、全身の血液循環が保たれなかったり、血液に酸素を取り込むこと(酸素化)ができなくなったりした患者に使用する。ボールペンほどの太さ(外径約8mm)のシース(管)を両側の太ももに1本ずつ、または太ももと首に1本ずつ挿入して使用する。血液を体から取り出して人工肺に送り、二酸化炭素を除去した上で酸素を加えて体内に戻す。

第3話「田川医師の本音」へ

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