「心不全患者に、私たちができること―緩和ケアの現場から―」の記事一覧

第2章 第1話 過信と思い込みの結果
第2章 第1話 過信と思い込みの結果
第2章:果たされなかった約束 第1話:過信と思い込みの結果 赤村太郎さん(仮名、70歳)が死亡してから2週間がたった。 5月下旬のある日、赤村さんの主治医だった循環器内科の田川賢治医師(仮名、30歳)は当直を終え、病院内のカフェでコーヒーを飲んでいた。午前9時。すでに午前中の診療が始まっているため院内は多くの人が行き交っているが、カフェはまだ空席が目立つ。 「先生も当直明けですか?」。声をかけられて田川医師が顔を上げると、緩和ケアチームの山崎直樹医師(仮名、45歳)がコーヒーを持って立っていた。 「山崎先生、その節はありがとうございました。今、ちょうど赤村さんのことを思い出していました。どうしても引っかかっちゃって。あの時、DNAR(do not attempt resuscitation:心肺蘇生を行わないこと)をちゃんと確認しておけばと……」 「ちょっとお話をする時間はありますか?」。田川医師がうなずくと、山崎医師は向かいの席に座った。 ×     ×     × 「父さん、今日は暑いぐらいだ。由布岳が山開きだってさ」 九州地方のA病院のICUで、感染防護用のエプロンと手袋を身に付けた赤村正さん(仮名、45歳)が、父の赤村太郎さんに語りかけた。反応はない。 心臓と足の血管狭窄に加え、MRSA肺炎と腎不全を併発した太郎さん。気管挿管され、ECMO(注)が挿入され、口や鼻、首、手、足にはたくさんの管がつなげられている。四肢は採血に伴う内出血で痛々しい。意識はないが、時折眉間にしわを寄せ、苦しそうな表情を浮かべる。 毎日午後3時になると、1日に10分だけ許されている面会のために、長男の正さんは妻と一緒に病院を訪れる。 田川医師は少し離れた所から、正さん夫妻の様子を何とも言えない重い気持ちで見つめていた。 「ぐったりしていて、足の色が悪い」と救急隊から入電があり、太郎さんがA病院に搬送されてきたのは10日前のことだ。下肢閉塞性動脈硬化症が疑われ、循環器急患当番だった田川医師がER(救急救命室)に呼ばれた。 田川医師は1年前に循環器内科の後期研修を終え、今は下肢血管治療の専門研修中だ。現在9例の治療を成功させている。やる気に満ち溢れ、下肢血管治療が必要な急患を待ち望んでいた。 太郎さんを診察すると、ひざの裏の膝窩(しっか)動脈の触れが悪かった。おそらく太ももを通る浅大腿(せんだいたい)動脈が狭窄しているのだろう。顔色は白く、血圧は80~100mmHgと低めで推移していた。ただ、ぐったりしている理由が分からない。全身の状態よりも下肢血管の治療のことで頭がいっぱいだった田川医師は「まあ、足の病変のせいということでいいだろう」と深く考えなかった。 翌日、循環器病棟で太郎さんを担当している新人の女性看護師から、心停止時に心肺蘇生を行うかどうか(治療コード)を確認するよう依頼された。 「何を言っているんだ! これから治療をする患者が、急変時のDNARを希望するわけはないだろう」。田川医師は強い口調で答えた。 「すいません……」。看護師は萎縮した様子で、カルテに「FULL CODE(心肺蘇生を実施する)」と記載した。 足の血管治療を行う前日、その病棟看護師から、太郎さんが10秒ほど意識消失をしたという報告を受けた。何か嫌な予感がした。田川医師の指導医が繰り返し「足は第2の心臓である」と言っていたことを思い出したのだ。足の血管が狭窄している人は心臓の血管も狭窄しているという意味だ。意識消失をしたということは心臓が悪い可能性がある。念のため太郎さんの様子を確認した方がいいと考え、病室に向かおうとした。 ちょうどその時、患者の急変を知らせるハリーコールが鳴り響いた。 「コードブルー。コードブルー。循環器病棟305号室」 田川医師が病室に駆けつけると、そこには心肺蘇生措置を受けている太郎さんの姿があった。 ここにきて全てがつながった。顔色が悪いのも、血圧が低いのも、下肢の色が悪いのも、ぐったりしているのも、心臓に異常があり、それに伴うショックを起こす直前の状態だったからだ。 すぐに心臓カテーテル室に太郎さんを移動させ、太ももの付け根からから親指ほどの太さのあるシース(管)を挿入しECMOを始動させた。足の血管も確かに狭窄はしていたが、心臓はさらに重症で3本の冠動脈はいずれも高度狭窄がみられた。 冠動脈の最低限の治療によって何とか一命を取り留め、太郎さんはICUに入室した。 病院からの連絡を受けて駆け付けた正さん夫妻は、経過、病状、今後の治療についての田川医師からの説明を黙って聞いていた。何か質問がないかと尋ねると、正さんが言った。「実は、父は蘇生措置を希望していなかったんです」 田川医師の心臓がドクンと大きく鳴った。血の気が引くのを感じた。 (注)ECMO 経皮的補助循環装置。心臓や肺が悪く、全身の血液循環が保たれなかったり、血液に酸素を取り込むこと(酸素化)ができなくなったりした患者に使用する。ボールペンほどの太さ(外径約8mm)のシース(管)を両側の太ももに1本ずつ、または太ももと首に1本ずつ挿入して使用する。血液を体から取り出して人工肺に送り、二酸化炭素を除去した上で酸素を加えて体内に戻す。 第2話「太郎さんが望んでいた最期の迎え方」へ
第2章 第2話 太郎さんが望んでいた最期の迎え方
第2章 第2話 太郎さんが望んでいた最期の迎え方
第2章:果たされなかった約束 第2話:太郎さんが望んでいた最期の迎え方 「実は、父は蘇生措置を希望していなかったんです」 冠動脈の高度狭窄で心停止に陥り、蘇生措置で一命を取り留めた赤村太郎さん(70)の長男正さん(45)は、主治医の田川賢治医師(30)にそう言った。 4年前にくも膜下出血のために64歳で亡くなった太郎さんの妻(正さんの母)のことが関係しているという。 妻の状態は最初からかなり悪かったが、太郎さんは治療を熱望した。医師や看護師は懸命に治療を行ったが効果はなく、体に繋がる管は徐々に増えていった。そのまま意識は戻らず、半年間の闘病の末に病院で亡くなった。 妻の三回忌の準備をしている時、太郎さんは「もし自分が悪くなっても、一切の蘇生措置は行わないでほしい。母さんみたいな治療は望まない」と正さん夫妻に話したという。 「本当は入院をした時にお伝えした方がよかったんでしょうけど、今回は足の病気だと思っていたので、まさかこんなことになるとは考えてもいませんでしたから。それに、そんなことをいきなり先生に言っても困るでしょうし。でも、蘇生措置をしてもらったことはありがたいと思っています。こうして生きている父と会えたのですから……」 正さんの話す姿には無念さがにじみ出ており、田川医師は言葉通りに受け止めることはできなかった。 ×     ×     × 「入院時に赤村さんとDNAR(do not attempt resuscitation:心肺蘇生を行わないこと)の話をしておけばよかったと、そのことばかり考えてしまうんですよ」。病院のカフェの天井を遠い目で見ながら田川医師が言った。 「そんなに自分を責めないでください」。向かいの席に座っている緩和ケアチームの山崎直樹医師(43)が静かに言葉をかける。「もちろん、入院時にDNARについての書面を過去に作ったことがあるかどうかを確認するのはとても大切なことです。ただ、もしあったとしても、患者の気持ちがその時点で変わっていない保証はありませんし、救急外来で無理に指示を決めてもらう必要はありません」 「DNARは大きく3つのパターンに分けられるんです」。山崎医師は詳しい説明を続けた。 1つ目は「あらかじめ価値観などについての話し合いが適切なプロセスで行われた上で、DNARを患者本人・代理意思決定者が希望する場合」だ。事前に価値観や人生観をゆっくり話し合った上で、本人から確認が取れるのが理想だ。 2つ目は「患者・代理意思決定者に対し、医療者からCPR(心肺蘇生法)の中止を推奨する場合」。救急現場では医療者も家族もDNARについて冷静に考えられるものではない。ただ、医療者は、CPRで蘇生する見込みが少なかったり、蘇生してもものすごくQOL(生活の質)が下がる可能性が高かったりすることを想像できる。そういう時に、代理意思決定者にDNARについて話をする必要がある。 3つ目は「CPRが無益なものと考えられ、医療者から一方的に中止する場合」だ。30分くらいCPRをしたり、がん末期でCPRの効果がほぼないと考えられたりする際にこれが当てはまる。 田川医師は山崎医師の説明を聞きながら、「太郎さんは1つ目のパターンで、本人からも家族からもDNARの意思が確認できたはずだ」と振り返っていた。 ×     ×     × 太郎さんがICUに入室してから5日間が経過した。改善の見込みがないことは明らかだった。ECMO(注)を外す前段階として徐々に出力を落とす「weaning」を試みると血圧が下がってしまう。さらに、MRSA肺炎や腎不全も併発した。 救命処置を希望していなかった太郎さんは、治療を受けながら延命し続けるこの状況をどう思っているのだろう。 人工呼吸器とECMOの駆動音が響くICUで、田川医師は意識がない患者を前に途方に暮れていた。 (注)ECMO 経皮的補助循環装置。心臓や肺が悪く、全身の血液循環が保たれなかったり、血液に酸素を取り込むこと(酸素化)ができなくなったりした患者に使用する。ボールペンほどの太さ(外径約8mm)のシース(管)を両側の太ももに1本ずつ、または太ももと首に1本ずつ挿入して使用する。血液を体から取り出して人工肺に送り、二酸化炭素を除去した上で酸素を加えて体内に戻す。 第3話「田川医師の本音」へ
第2章 第3話 田川医師の本音
第2章 第3話 田川医師の本音
第2章:果たされなかった約束 第3話:田川医師の本音 A病院では毎朝、ICUチームと循環器チームによるカンファレンスが行われる。 冠動脈の狭窄で心停止に陥り、蘇生措置で一命を取り留めた赤村太郎さん(70)については、「終末期状態であり、治療方針を変更した方がいいのではないか」という声がいくつか上がった。 ただ主治医で循環器内科の田川賢治医師(30)としては、1%でも回復の可能性が残っているのならばそれにかけたいという思いがあった。また、現状への責任を感じており、終末期であることを認めることができなかった。 みんなが考え込む中、ICUチームの看護師から緩和ケアチームへのコンサルテーションについて提案があった。 田川医師は悩んだ末、決して前向きにではなかったが、看護師の提案を受け入れることにした。「早期からの緩和ケア」「非がんの緩和ケア」というものが最近話題になっているのをどこかで耳にしたことがあったのと、状況改善に向けて何かに救いを求めたい気持ちがあるのも、また事実だったからだ。 その日の午後、緩和ケアチームの医師と看護師が田川医師の所にやってきた。医師は山崎直樹、看護師は小泉茜と名乗った。何となく院内で顔を見かけたことがある程度で、ほとんど知らない2人だ。 田川医師は顔をしかめていた。「もし、治療の中止や、麻薬や鎮静薬の投与を提案されたら、きっぱりと断ろう」。そう身構えていた。 まず田川医師から、これまでの状況について説明を行った。ショック状態に陥ったが蘇生に成功したこと、患者本人は家族にDNAR(do not attempt resuscitation:心肺蘇生を行わないこと)を希望すると伝えていたこと、しかし田川医師たちがその希望を知ったのは患者がICUに入室した後だったこと、今は長男夫妻も治療を希望していること、改善の見込みは極めて低いが完全にゼロとはいえないこと――。何かに追い立てられるかのように、一気にしゃべった。 山崎医師と小泉看護師は、じっと田川医師の話を聞いていた。説明が終わると、小泉看護師が「先生、本当によく頑張ってこられたんですね」と優しい声で言った。まさかそんな言葉をかけられるとは思っていなかった田川医師は、驚くと共に目頭が熱くなるのを感じた。何か肩の荷が下り、救われたような気がした。 「私はどうすればいいんですかね」。田川医師の口から、思わず本音がこぼれた。 後は止まらなかった。「本当は、来院時に心臓のことまで疑って、もっとしっかり状態を観察したり、検査を早めたりしておけばよかったと後悔しているんです。いつもはDNARかどうかを最初に確認するのに、この人だけはそれをしなかった。何としても治療したい、DNARと言われたらそれができなくなる。そんな思いが巡っていたんです」 山崎医師と小泉看護師は、相槌を打ちながら真剣な表情で話を聞いていた。山崎医師が言う。「そういう葛藤の中、ここまで治療を続けてこられたんですね」 緩和ケアチームの2人と話しているうちに、田川医師の中から「何としても治療を続ける」という意地のような思いが消えていった。太郎さんにとって何がベストなケアなのかだけを考えるようになった。 「ECMO(注)をいつまで続けるべきなのか。人工呼吸器の設定をこれからも強化していくべきなのか。強心剤はどこまで増量すべきなのか。治療の方針については悩みが尽きません」。そう田川医師が言うと、山崎医師が「赤村さんの『ケアのゴール』についての話し合いって、今まで行いましたか?」と聞いた。 ケアのゴール――。田川医師には聞き馴染みのない言葉だった。 山崎医師が続ける。「救急や集中治療においては、治療手段から治療方法を考えることが一般的だと思います。例えば、挿管という手段を行うのか行わないのかを事前に示すことで、その後の治療方法が決まるということです。一方で緩和ケアが中心になる場合は、患者の嗜好や人生観からゴールを設定するという考え方があります」 「例えば、家族と過ごす時間を何より大切にする患者さんだったら、それがかなえられる環境を整えます。たとえそれが医療的介入を減らさなければならなくなっても、患者さんの意思の尊重を重視します。そのためには、この患者さんがどんな人生を送り、どんなことを好んでいて、どんな人生の閉じ方をしたいのかについて話すことが大切です」と小泉看護師が補足した。 太郎さんは、もう話すことはできない。田川医師は「もっと早く話し合っておけば良かったのですが……」とうなだれた。 「今からでもできることがあります。一緒に長男夫妻からお話を聞いてみましょう」と山崎医師が提案した。 (注)ECMO 経皮的補助循環装置。心臓や肺が悪く、全身の血液循環が保たれなかったり、血液に酸素を取り込むこと(酸素化)ができなくなったりした患者に使用する。ボールペンほどの太さ(外径約8mm)のシース(管)を両側の太ももに1本ずつ、または太ももと首に1本ずつ挿入して使用する。血液を体から取り出して人工肺に送り、二酸化炭素を除去した上で酸素を加えて体内に戻す。 第4話「太郎さんがくれたもの」へ
第2章 第4話 太郎さんがくれたもの
第2章 第4話 太郎さんがくれたもの
第2章:果たされなかった約束 第4話:太郎さんがくれたもの 緩和ケアチームを交えて話し合うことについて、主治医で循環器内科の田川賢治医師(40)は、患者の家族がどんな反応を示すのか不安だった。だが、長男夫妻は特に抵抗感はないようで快く受け入れてくれた。 面談室には、田川医師、緩和ケアチームの山崎直樹医師(43)と小泉茜看護師(38)、患者の長男である赤村正さん(45)夫妻の計5人が集まった。 まず田川医師が患者の赤村太郎さん(70)の病状を改めて説明した。心臓と足の血管狭窄があり、心停止に陥ったが心肺蘇生で一命を取り留めたこと、ただし現状では改善の見込みはほとんどなく、延命治療を続けている状態にあること。 その後、緩和ケアチームの山崎医師と小泉看護師が話を引き継いだ。2人はしばらく、天気や正夫妻の子供のことなど医療とは関係のない話をした。 そして、山崎医師が「正さんからみて、太郎さんってどんな人でしたか?」と質問した。 正さんは、時々目を閉じて、懐かしむように父太郎さんのことを話してくれた。 太郎さんは証券会社に勤めており、いつもとても忙しそうだった。特にバブルの頃はほとんど家に帰ってくることがなく、正さんとしばしば衝突したという。 大学生のころに登山部に入っていたほど山登りが好きで、最近も年に1~2回は1人で山に出かけていた。几帳面な性格で、今まで登った山については、そこで撮影した写真と共に記録ノートを作っている。先日、そのノートを太郎さんと正さんで見ていた時、正さんが小さい頃によく親子2人で登った由布岳の写真がたくさん出てきた。久しぶりに今年、ミヤマキリシマが見ごろを迎える5月下旬~6月中旬のどこかで、2人で由布岳に登ろうと約束をしていたのだそうだ。 また、太郎さんの妻は4年前にくも膜下出血で亡くなっている。妻が倒れたのは、太郎さんの定年祝いを兼ね、夫妻でヨーロッパ旅行に出発する2日前だったという。 田川医師は太郎さんのことを何も知らなかったことに愕然とした。どんな仕事をしていたのかも、山登りが好きだったことも聞いていない。太郎さんの妻がくも膜下出血で亡くなったことは正さんから伝えられていたが、定年祝いの旅行直前に発症したことは初耳だった。何も言えないまま、山崎医師と小泉看護師が話を進めていくのを聞いているしかなかった。 そして、話はケアのゴールのことに移っていった。 正さんは「母が半年間の闘病の末に体中管だらけになって、意識が戻らずに亡くなったことに後悔があったようです。母さんみたいな死に方はしたくないと言っていました。それから、父は医療のドキュメンタリーやドラマを見るのが好きでした。ストーリーの中で管に繋がれた患者が出てくると、『俺はここまでして生きたくないなぁ』とも話していましたね。『最期はピンピンコロリといきたいわ』なんて」と太郎さんの思いを話した。 結局その時は、ECMO(注)や人工呼吸器を外すかどうかの結論には至らなかった。緩和ケアチームも一緒に治療を考えていくことを約束し、正さん夫妻は帰っていった。 しかしその晩、太郎さんは急激に状態が悪化し、死亡した。 ×     ×     × いつの間にか、病院内のカフェは席がほぼ埋まっていた。 田川医師は山崎医師の話に注意深く耳を傾けている。 「赤村さんのような人も、それはかなり少ないですが、いるんですよ。だから、救急現場でもDNAR(do not attempt resuscitation:心肺蘇生を行わないこと)について確認することが重要なんです。ただ、いきなり話すのではなく、まず過去にDNARやACP(Advance Care Planning:終末期医療や介護について話し合うこと)について医療者や代理意思決定者と話し合ったことがあるかどうかを聞いてみてください。そして次に、QOL(生活の質)を踏まえた上で延命が何よりも大切かどうかを確認する必要があります。これがYesであれば、無理やりDNARを推奨しても話は平行線になります。いったんその議論は止めて、まず治療を優先したほうがいいでしょう」 「もし、Noだったら? その時はどんな対応をすべきなのでしょうか」 「DNARを強く勧めるのではなく、まずCPR(心肺蘇生法)とは何なのか、なぜ必要でどれくらい効果が見込め、本人の希望と合致しそうか――について一緒に考えてみてください。そして最後に、決まったことを確認してください。救急外来での本人や家族の決定は変わりやすいことも知られていますので、無理に決める必要はありません。話し方一つで、より患者さんの思いに寄り添った意思決定ができます」 「なるほど――。山崎先生とお話しせずにいたら、赤村さんのこともどうなっていたか分かりませんし、将来的には、自分の医学的予想に従ってDNARを一方的に患者や家族に提示するようなことがあったかもしれません」。田川医師はため息をつきながら小さく首を横に振った。 「私もね、あの時こうやっておけばよかったとか、自分が担当じゃなければもっと良い結果になったんじゃないかと悩むことがあります。自分が無知なために、患者や家族を傷つけることがあるのではないかと怖くなることがあります。でも、自分を責めるだけでは起きてしまったことは変わりませんし、起こるかもしれないことを恐れていたら何もできなくなってしまいます。DNARについて深く考え、知るきっかけを作ってくれた赤村さんに感謝し、前に進むべきなのではないでしょうか」 少しの沈黙の後、田川医師が立ち上がった。「さて、そろそろ行きます。今日は、もう休みなんですよ。帰りがけに登山用品店で登山靴を買おうと思います。次の休みに由布岳に登ってみようかなと。ミヤマキリシマ、咲いてますかね」 (注)ECMO 経皮的補助循環装置。心臓や肺が悪く、全身の血液循環が保たれなかったり、血液に酸素を取り込むこと(酸素化)ができなくなったりした患者に使用する。ボールペンほどの太さ(外径約8mm)のシース(管)を両側の太ももに1本ずつ、または太ももと首に1本ずつ挿入して使用する。血液を体から取り出して人工肺に送り、二酸化炭素を除去した上で酸素を加えて体内に戻す。
第1章 第3話 福山芳雄さんの記憶
第1章 第3話 福山芳雄さんの記憶
第1章:2人の患者 第3話:福山芳雄さんの記憶 「あと10回! あと10回電気ショックをしてください!」 心肺蘇生処置の停止を提案した小倉医師に、絞り出すような声で泣きながら訴える福山豊美さん(仮名、78歳)。夫の芳雄さん(仮名、78歳)の心肺蘇生処置は30分間続けており、もう改善は見込めない。それでも、豊美さんの訴えに応え、小倉医師は何十回も電気的除細動を芳雄さんに繰り返した。 臨終を伝えた後、ベッドに横たわる夫の亡きがらを呆然と見下ろす豊美さんの姿が忘れられない。 福山さん夫婦に子供はおらず、二人暮らしだった。芳雄さんは自宅にいたところ、体が動かなくなり、A病院に救急搬送されてきた。1カ月ほど前から強い倦怠感を訴えていて、3日前からは足の色が赤紫色に変色していたという。 診察した小倉医師は下肢末梢動脈疾患の疑いがあると判断。2日後にカテーテル治療を行うことにし、入院してもらうことにした。しかし、入院翌日に突然、芳雄さんは心肺停止状態に陥る。緊急カテーテル検査を行うと、下肢だけでなく冠動脈も高度狭窄状態であることが分かった。蘇生には成功したものの、気管切開をし、長期間の集中治療を余儀なくされた。 入院中に心機能は著しく低下し、下肢の潰瘍やでん部の褥瘡(じょくそう)から感染症を繰り返す状態になった。芳雄さんの全身の身体機能の低下から、小倉医師は「心不全、感染症それぞれは治療できても、回復して帰宅することは難しい」と考えていた。 ある日、小倉医師は病院の廊下でばったり豊美さんに会った。芳雄さんの今後の治療方針について相談しようと、豊美さんをデイルームに誘った。日曜日のデイルームは多くの見舞客や患者が集まってにぎやかだった。ちょうど空いていた中央のテーブルに向かい合って座った。 「芳雄さんの状態なのですが、先日、ドブタミンを……ドブタミンは強心薬ですね。それを中止できるところまではこぎつけたんです。でも、どうやら細菌感染があるようで、CRPの値が上がっているんです。今使っているCVカテーテルに感染している可能性があって、入れ替える必要がありそうです。それから、スワンガンツという血行動態……血の流れですね」 とりあえず必要なことを伝えたいと一気に話した。豊美さんは聞いているのか聞いていないのか分からない表情でうつむいている。続きを話そうとした時、小倉医師のPHSが鳴った。循環器内科の同僚の医師からの問い合わせだった。後で詳しく話すことを伝えて通話を終えた。 「失礼しました」。どこまで話したのかを思い出す。「えっと……。そう、スワンガンツでしたね。これを評価するカテーテル検査をすると……」。必要なことを話し終えた。豊美さんは相変わらずうつむいたままだ。「もしかすると、治すのは難しいかもしれません。ただ、治療を続ければーー」 「先生……私には難しいことは分かりません」。顔を上げた豊美さんが小倉医師の言葉を遮った。「もう、これ以上悪い話をしないでください。まだまだ頑張れるって言ってください。本人も励ましてもらいたいと思っているはずですから」 「そうですか」。小倉医師はそれ以上何も言えなかった。 芳雄さんの状態は日に日に悪化していった。そして、芳雄さんの最期の日を迎える。 その日、医局で書類の整理をしていた小倉医師のPHSが鳴った。看護師から芳雄さんの急変を知らせる電話だった。病室に駆けつけると、芳雄さんは心室頻拍を起こしていた。心肺蘇生と電気的除細動を行い、抗不整脈薬を使用した。しかし、心室頻拍は止まらなかった。下肢血管障害のため、補助循環装置は使えない。そして、30分間に及ぶ心肺蘇生が続き、その後の何十回にも及ぶ電気的除細動が行われた。 「いったい自分はどうすればよかったのか」 その夜、小倉医師は同僚の緩和ケア医に相談した。緩和ケア医は、芳雄さんの件について詳細に話を聞き、SHAREのスキルと照らし合わせて一つ一つアドバイスをしてくれた。メモを取りながら真剣に話を聞いた。疾患の治療と同様に、患者や家族への対応スキルを身に付けることの大切さを知った。 終末期であることを担当医が告知できないために、家族に強い悲嘆を残してしまうことがある。 もし、自分がきちんと対応をしていれば、芳雄さんはもっと良い最期を迎えられたはずだ。豊美さんの悲しみもだいぶ違った形になっていただろう。 「自分の患者から第二の芳雄さんは出さない」。小倉医師はそう誓い、SHAREの詳細をメモした紙を胸のポケットにしまった。 ※参考文献:内富庸介、藤森麻衣子著 『がん医療におけるコミュニケーション・スキル 悪い知らせをどう伝えるか』 医学書院
第1章 第2話 胸ポケットの中の「SHARE」
第1章 第2話 胸ポケットの中の「SHARE」
第1章:2人の患者 第2話:胸ポケットの中の「SHARE」 面談当日、小倉医師は病院に到着した春子さんに呼び出された。 「先生、もしよろしければ、私にだけ先に聞かせてくれませんか。主人は悪いんでしょう? もし悪いのなら、本人には話さないでくれませんか。先生の前では強がっていますが、本当は弱い人なんです」。深刻そうな顔をした春子さんが訴える。 ゆっくり大きくうなずいて、小倉医師はこう語りかけた。「そうなんですね。教えてくださり、ありがとうございます。私もできることなら本人には悪い話はしたくないと思っています。ですが、本人も明らかに体調の悪化を自覚しています。病状をとても気にされていますので、きちんとお話しした方がいいと考えました。本人の体調、伝え方や受け止め方に配慮しますので、少しずつお話しさせてもらえませんか」 春子さんはジッと考えた後、「そうですか。分かりました」と小さな声で答えた。 面談で小倉医師は、これまでの病状の経過と今後起こりうることを伝えた上で、緩和ケアについて紹介した。そして将来の悪化を見据え、今後の過ごし方についてACP(医療者や家族と話し合いを行っていくこと)を開始する時期だと説明した。 完治は望めないこと、徐々に寛解と増悪を繰り返すようになること、突然死の可能性があること……。説明を聞いている途中で、春子さんは泣き出してしまった。小倉医師は、春子さんの前にティッシュペーパーの箱をそっと置き、落ち着くのを待った。 約40分の面談が終わった。「よく分かりました。もう少し妻と話し合いたいと思います」。そう言って太郎さんは、春子さんに車椅子を押されて面談室を出て行った。 飯田さん夫婦を見送った後、小倉医師は今の面談を振り返った。悪い知らせを伝える際のスキル「SHARE(※)」に当てはめながら、やり取りを一つ一つ見直していく。 SHAREは、Supportive environment▽How to deliver the bad news▽Additional Information▽Reassurance and emotional support――の頭文字を取っており、悪い知らせを伝える際に医師が実践すべき態度や行動を示している。 小倉医師はSHAREの詳細をメモした紙を、常に胸ポケットに入れている。紙を開いて読み返す。 S:支持的な場の設定。死や予後、告知の話は非常にデリケート。人通りの多い廊下や待合室などで行うのは避け、落ち着いて話せる時間、場所、雰囲気を用意する。また、医師が別件で電話対応をするようなことはしない。患者の家族に時間の余裕がない時に面談を設定することは避ける。患者の体調の良い時間帯を選び、ゆっくり座れたり、横になったりしながら話を聞ける環境を用意する。 H:悪い知らせの伝え方。伝える時の言葉の選び方は非常に重要。まどろっこしい表現は避け、率直に伝えなくてはならない。また、患者と家族が病状の経過を共有できているか、話の内容を理解できているのかについて確認しながら話を進める。 A:付加的な医学情報。その情報が患者や家族にとって必要な情報か。患者や家族が、その情報を受け止められる心理状態にあるのか。医師の説明の場合は、特に注意をしなくてはならない。 RE:安心感と情緒的サポート。患者の感情を受け止め、情緒的なサポートを行う。例えば、患者や家族が説明中に泣き出して「もうこれ以上話を聞きたくない」と言ったとしても、文字通り受け取って説明を切り上げてはいけない。その言葉の裏にある感情を考える。「おつらいですよね」と声をかけたり、ハンカチを渡したりして、気持ちが落ち着くのを待つことも大事なコミュニケーション。 「“今回は”大丈夫だ。太郎さんも春子さんもきちんと理解してくれたはず。冷静に今後の治療方針について話し合えるだろう」 面談室を出て医局に戻りながら、小倉医師は3カ月前に担当した、ある患者のことを思い出していた。 第3話「福山芳雄さんの記憶」へ
シリーズ紹介
シリーズ紹介
「緩和ケア」と聞いて、どんな疾患を思い浮かべますか? 多くの人は「がん」と答えるのではないでしょうか。でも、急速に高齢化が進む日本で、今ニーズが高まっているのが心不全患者への緩和ケアなのです。心不全は予後が悪く、大きな苦痛を伴います。専門家は心不全緩和ケアの重要性を訴え続けていますが、医療従事者にも浸透していないのが実情です。このシリーズでは、心不全緩和ケアの現場で働く医療従事者が、たくさんの心不全患者についての物語を紹介します。循環器内科医だけでなく、全ての医療従事者、一般の人にも心不全緩和ケアについて知ってもらいたいと思っています。 この記事は事実を基に一部創作を交えて構成しています。 <原案> 大森崇史(おおもり たかし) 飯塚病院連携医療・緩和ケア科医師。専門は総合内科、循環器内科、緩和ケア。地域密着型の循環器緩和ケアの確立を目指す「九州心不全緩和ケア深論プロジェクト」の中心メンバーで、心不全緩和ケアの普及、啓発、実践に取り組んでいる。 <企画、文、構成> ヒポクラ × マイナビ編集部 藤野基文・竹村昌敏・山下英里子 <イラスト> オオカワマリ 第1話「飯田太郎さんのこと」 へ ※バナーをクリックするとヒポクラ コンサルト内で 大森崇史 先生に質問できます。
第1章 第1話 飯田太郎さんのこと
第1章 第1話 飯田太郎さんのこと
第1章:2人の患者 第1話:飯田太郎さんのこと A病院5階にある循環器内科の医局の窓からは、四季折々の花が咲く中庭が見える。4月下旬の良く晴れた暖かな日、淡い紫色の藤の花が咲き誇る藤棚の脇に、妻の飯田春子さん(仮名、72歳)の押す車椅子に乗って散歩をする太郎さん(仮名、75歳)の姿があった。 循環器内科医の小倉誠二医師(仮名、38歳)は窓から離れると、院内PHSを同僚に託し、面談室に向かった。 10分ほどたって、飯田さん夫婦が面談室に入ってきた。患者や家族に病状を話す時に使うこの部屋は、約15平方メートルの広さで、南向きの窓からは明るい日が差し込む。小倉医師と飯田さん夫婦以外には誰もいない。外の音はほとんど聞こえず、静かだ。 部屋の中央にある机に、小倉医師と飯田さん夫婦は向かい合って座った。患者の太郎さん本人は車椅子のリクライニングを倒し、リラックスした様子に見える。一方で、春子さんは少し緊張しているようだ。 「今日はありがとうございます。中庭を散歩されているのが見えました」。小倉医師は静かに語りかけた。「今まで治療を頑張ってこられましたね。今日は、ここまでの経過の整理と今後の治療のお話をさせていただこうと思います。もし、分からないことがあったり、聞くのがつらくなったりしたら、いつでもおっしゃってください」 太郎さんは3年前、拡張相肥大型心筋症と診断され、ここ1年間は心不全の増悪で2回ほど入院している。そして今は、3日前に38度の発熱があったため、A病院に入院中だ。既に熱は下がり、容体は落ち着いているが、身体機能の低下は確実に進行している。小倉医師は、飯田さん夫婦と、経過や今後の治療方針の共有が必要な時期だと考えていた。 前の日の夕方、小倉医師は病室で太郎さんに聞いた。「飯田さん、最近調子はどうですか」 「ちょっと、きついね。どんどんきつくなる」。太郎さんはため息交じりに答えた。 小倉医師は「きつい中、本当によく頑張っていらっしゃいますね」と言葉をかける。太郎さんの思いを受け止め、少しでも精神的負担が緩和されるように。 少しの沈黙の後、太郎さんが口を開いた。「先生……。こんなことが、いつまで続くのかな」 「いつまで続くのか、心配ですよね。もしよろしければ、今後の病状と治療について、奥様と一緒にお話をさせてもらいたいと思うのですが。どうですか」 「ぜひ、そうしてください」。太郎さんは静かにそう答えた。 第2話「胸ポケットの中の『SHARE』」へ
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