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SARS-CoV-2による一時的な小児多臓器系炎症性症候群患児58例の臨床的特徴
SARS-CoV-2による一時的な小児多臓器系炎症性症候群患児58例の臨床的特徴
Clinical Characteristics of 58 Children With a Pediatric Inflammatory Multisystem Syndrome Temporally Associated With SARS-CoV-2 JAMA. 2020 Jul 21;324(3):259-269. doi: 10.1001/jama.2020.10369. 原文をBibgraph(ビブグラフ)で読む 上記論文の日本語要約 【重要性】新型コロナウイルス感染症2019の発症率が高い地域で、発熱および炎症を伴うまれな症候群を呈する患児の報告が浮上している。 【目的】SARSコロナウイルス2(SARS-CoV-2)による一時的な小児多臓器系炎症性症候群(PIMS-TS)の基準を満たした入院患児の臨床所見および検査値の特徴を明らかし、他の小児炎症性疾患の特徴と比較すること。 【デザイン、設定および参加者】2020年3月23日から5月16日の間に、発熱の持続と公開されているPIMS-TSの診断基準を満たした入院患児58例(中央値9歳、33例が女児)の症例集積。最終追跡日は、2020年5月22日であった。診療記録の臨床症状および検査結果を要約し、2002年から2019年に欧米で入院した川崎病(KD)患児(1132例)、川崎病ショック症候群患児(45例)および中毒性ショック症候群患児(37例)の特徴と比較した。 【曝露】英国、米国および世界保健機関(WHO)が定義するPIMS-TSの基準を満たした患児の兆候、症状、検査および画像所見。 【主要評価項目】PIMS-TSの基準を満たした患児の臨床、検査および画像所見、他の小児炎症性疾患の特徴との比較。 【結果】PIMS-TSの基準を満たす患児58例(平均年齢9歳[IQR 5.7-14]、女児20例[34%])を特定した。58例中15例(26%)がSARS-CoV-2ポリメラーゼ連鎖反応検査の結果が陽性、46例中40例(87%)がSARS-CoV-2 IgG検査陽性であった。合わせて、58例中45例(78%)がSARS-CoV-2感染しているか、感染歴があった。全例に発熱および嘔吐(58例中26例、45%)、腹痛(58例中31例、53%)、下痢(58例中30例、52%)などの非特異的症状が見られた。58例中30例(52%)が発疹、58例中26例(45%)が結膜充血を呈した。検査所見の評価で、C反応性蛋白(229 mg/L[IQR 156-338]、全58例で評価)、フェリチン(610 μg/L[IQR 359-128]、58例中53例で評価)などで著名な炎症が認められ、58例中29例がショック(心筋機能障害の生化学的根拠あり)を来たし、強心薬および蘇生輸液投与を要した(機械的換気を実施した29例中23例[79%]を含む)。13例が米国心臓協会が定義するKDの基準を満たし、23例にKDやショックの特徴がない発熱および炎症があった。8例(14%)が冠動脈拡張または冠動脈瘤を来した。PIMS-TSとKDまたはKDショック症候群を比較すると、年齢が高く(年齢中央値9歳[IQR 5.7-14] vs. 2.7歳[IQR 1.4-4.7]および3.8歳[IQR 0.2-18])、C反応性蛋白(中央値229mg/L vs. 67mg/L[IQR 40-150 mg/L]および193mg/L[IQR 83-237])炎症マーカー高値などの臨床所見や検査所見に差が見られた。 【結論および意義】このPIMS-TSの基準を満たした患児の症例集積では、発熱や炎症から心筋障害、ショック、冠動脈瘤までさまざまな徴候、症状および疾患重症度が見られた。KDおよびKDショック症候群の患児と比較からは、この疾患に関する知見が得られ、他の小児炎症性疾患とは異なるものであることが示唆される。 第一人者の医師による解説 COVID-19重症化抑制の治療法につながる 臨床的意義の大きな研究 永田 智 東京女子医科大学小児科学講座主任教授 MMJ. February 2021;17(1):12 新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の高感染率地域で重症急性呼吸器症候群コロナウイルス2型(SARS-CoV-2)に関連した小児炎症性多系統症候群(PIMS-TS)が報告されており、川崎病との類似性が話題になった。 本論文では、2020年3月?5月に英国の8病院に入院した、英国、米国疾病対策予防センター(CDC)または世界保健機関(WHO)のPIMS-TS基準を満たした小児58人について、臨床的特徴をカルテレビューで抽出し、2002~19年に欧米の病院に入院した川崎病患者(1,132人)、川崎病ショック症候群患者(45人)、トキシックショック症候群患者(37人)と比較検討した。 これらPIMS-TS症例はSARS-CoV-2 PCR検査で58人中15人(26%)が陽性、SARS-CoV-2 IgG抗体検査で46人中40人(87%)が陽性であった。全例で発熱、約半数で嘔吐、腹痛、下痢の消化器症状を認めていた。同様に約半数は発疹や結膜充血といった川崎病類似の症候を呈していた。血清CRPは中央値22.9mg/dL(四分位範囲[IQR],15.6~33.8)、フェリチンも中央値610μg/L(IQR,359~1,280)と全般に高値であった。58人中29人(50%)が心筋機能障害を高頻度に伴うショックをきたし、そのうち23人(79%)は人工呼吸器管理を要していた。13人は米国心臓学会(AHA)の川崎病基準を満たし、興味深いことに8人は冠動脈拡張または冠動脈瘤を合併していた。 本研究では、PIMS-TS、川崎病、川崎病ショック症候群の三者が比較された。PIMS-TSでは罹患年齢の中央値が9歳(IQR,5.7~14)と一般の川崎病(中央値2.7歳)や川崎病ショック症候群(中央値3.8歳)より高かった。また、PIMS-TSの血清CRPは、川崎病(中央値6.7mg/dL)よりかなり高値の傾向にあったが、川崎病ショック症候群とは僅差であった(中央値19.3mg/dL)。 これらのPIMS-TS症例は、発熱・心筋障害・ショック・冠動脈瘤形成といった多臓器にまたがる多彩な症候を示していたが、全般に重症であった。これまで、川崎病に類似した症候をもつ他の疾患は数少なく、しかも冠動脈病変を有する疾患はほとんど報告されていない。PIMS-TSを丁寧に調べることにより、川崎病の病態発症、特に冠動脈病変の発生機序を考える上で、重要なヒントが得られる可能性がある。さらに、川崎病の標準治療である免疫グロブリン大量療法がCOVID-19の重症型であるPIMS-TSの治療に有効であることが証明されれば、COVID-19の重症化抑制に安全性の高い有効な治療選択肢が加わることになり、当検討の臨床的な意義は大きいことになる。
アンジオテンシン変換酵素阻害薬またはアンジオテンシン受容体拮抗薬とCOVID-19診断および死亡率の関連
アンジオテンシン変換酵素阻害薬またはアンジオテンシン受容体拮抗薬とCOVID-19診断および死亡率の関連
Association of Angiotensin-Converting Enzyme Inhibitor or Angiotensin Receptor Blocker Use With COVID-19 Diagnosis and Mortality JAMA. 2020 Jul 14;324(2):168-177. doi: 10.1001/jama.2020.11301. 原文をBibgraph(ビブグラフ)で読む 上記論文の日本語要約 【重要性】アンジオテンシン変換酵素阻害薬(ACEI)/アンジオテンシン受容体拮抗薬(ARB)によってコロナウイルス感染症(COVID-19)に感染しやすくなり、ウイルスの機能性受容体、アンジオテンシン変換酵素2の発現が亢進することによって転帰が悪化すると思われる。 【目的】ACEI/ARBの使用とCOVID-19の診断およびCOVID-19患者の転帰との関連を調べること。 【デザイン、設定および参加者】COVID-19患者の転帰を調べるため、デンマークの全国レジストリのデータを用いて後ろ向きコホート研究を実施した。ICD-10コードを用いて2020年2月22日から5月4日までのCOVID-19患者を特定し、診断日から転帰または試験期間終了日(2020年5月4日)まで追跡した。COVID-19の感受性を調べるため、コホート内症例対照デザインのCox回帰モデルを用いて、2020年2月1日から同年5月4日まで他の降圧薬を比較したACEI/ARB使用とCOVID-19診断発生率との関連を検討した。 【曝露】発症日前6カ月間の処方と定義したACEI/ARBの使用。 【主要評価項目】この後ろ向きコホート研究で、主要評価項目は死亡とし、死亡または重症COVID-19の複合転帰を副次評価項目とした。コホート内症例対照の感受性解析では、転帰はCOVID-19診断とした。 【結果】この後ろ向きコホート研究には、COVID-19患者4480例を組み入れた(年齢中央値54.7歳[四分位範囲40.9-72.0歳]、47.9%が男性)。ACEI/ARB使用者895例(20.0%)および非使用者3585例(80.0%)であった。ACEI/ARB者の18.1%、非使用者の7.3%が30日以内に死亡したが、この関連は、年齢、性別および既往例で調整した後、有意差はなくなった(調整後ハザード比[HR]、0.83、95%CI 0.67-1.03)。ACEI/ARB使用者の31.9%、非使用者の14.2%に、30日以内に死亡または重症COVID-19が発生した(調整HR 1.04、95%CI 0.89-1.23)。COVID-19感受性を検討するコホート内症例対照研究では、高血圧の既往歴があるCOVID-19患者571例(年齢中央値73.9歳、54.3%が男性)を年齢および性別でマッチさせたCOVID-19がない対照5710例と比較した。COVID-19患者の86.5%がACEI/ARBを使用していたのに対し、対照は85.4%で、他の降圧薬と比較するとACEI/ARBにCOVID-19高発症率との有意な関連は認められなかった(調整HR 1.05、95%CI 0.80-1.36)。 【結論および意義】高血圧患者のACEI/ARB使用歴にCOVID-19診断またはCOVID-19患者の死亡または重症化との有意な関連は認められなかった。この結果から、COVID-19大流行下で臨床的に示唆されるACEI/ARB投与中止は支持されるものではない。 第一人者の医師による解説 COVID-19の流行に際し ACEI/ARBの服薬変更は不要の可能性を示唆 岩部 真人、二木 寛之、岩部 美紀、山内 敏正 東京大学大学院医学系研究科糖尿病・代謝内科 MMJ. February 2021;17(1):9 現在世界中でパンデミックを引き起こしている新型コロナウイルス感染症(COVID-19)は、一度は感染拡大の速度が緩んだようにみえた。しかし各種規制緩和などの影響でいわゆる第2波とも呼ぶべき再拡大が各国で起きており、日本でも感染者数は下げ止まっているなど、いまだ予断を許さない状況が続いている。 COVID-19を引き起こす病原体SARS-CoV-2はアンジオテンシン変換酵素(ACE)2を介して細胞内に侵入することが示されている(1)。一方、降圧薬のACE阻害薬(ACEI)やアンジオテンシン受容体拮抗薬(ARB)はACE2の発現を上昇させることが知られており(2)、COVID-19の罹患率、重症化率および死亡率への影響が懸念されてきた。ACEIやARBは降圧薬として第1選択となることも多く、投薬対象人口も非常に大きいことから、この関係を検証することは急務とされ、さまざまなコホートで研究が行われている。 本研究はデンマークでのデータを基に、重症化率・死亡率についてはACEI/ARB使用中の患者を含むCOVID-19患者4,480人を対象とした後ろ向きコホート研究により、罹患率についてはコホート内症例対照研究により検討したものである。まず重症化率・死亡率について、ACEI/ARB使用中の895人を含むCOVID-19患者4,480人のコホートで年齢、性別、既往歴について補正すると、ACEI/ARB使用者と非使用者の間で死亡率に有意な差はなかった(ハザード比[HR], 0.83)。同様に死亡率または重症化率についても両群間に有意差はなかった(HR, 1.04)。次に罹患率について、高血圧の既往のあるCOVID-19患者571人と年齢、性別がマッチした高血圧の既往のある非COVID-19患者5,710人との間で比較検討された。その結果、両群間のACEI/ARB使用率に有意な差は なく、ACEI/ARBの使用はCOVID-19の罹患率を上昇させていなかった(HR, 1.05)。 2019年12月以降COVID-19は世界的に拡大し、それから1年が経過しようとしている。COVID-19の病態メカニズムについて、いまだ明らかになっていないことは多いが、疫学的にさまざまな情報が集約されつつある。ACEI/ARBについては、特にSARS-CoV-2はACE2を介して細胞内に侵入することが明らかになり、COVID-19流行初期は服薬に伴うリスクが懸念されていた。しかしながらその後、本研究結果を含めACEI/ARBはCOVID-19の罹患率、重症化率、死亡率を上昇させないことが明らかになり、各学会からもACEI/ARBの使用継続を支持する声明が世界的に出されている。一方、本研究を含めて現在のエビデンスは、ほぼすべて後ろ向き研究の結果であり、各国で進行中の前向き研究に対して、今後も注視し続ける必要がある。 1. Wang Q, et al. Cell. 2020;181(4):894-904. 2. Vaduganathan M, et al. N Engl J Med. 2020;382(17):1653-1659.
物理的距離の保持、マスクおよび保護めがね着用によるヒトからヒトへのSARS-CoV-2感染およびCOVID-19の予防 系統的レビューおよびメタ解析
物理的距離の保持、マスクおよび保護めがね着用によるヒトからヒトへのSARS-CoV-2感染およびCOVID-19の予防 系統的レビューおよびメタ解析
Physical distancing, face masks, and eye protection to prevent person-to-person transmission of SARS-CoV-2 and COVID-19: a systematic review and meta-analysis Lancet. 2020 Jun 27;395(10242):1973-1987. doi: 10.1016/S0140-6736(20)31142-9. Epub 2020 Jun 1. 原文をBibgraph(ビブグラフ)で読む 上記論文の日本語要約 【背景】重症急性呼吸器症候群コロナウイルス2(SARS-CoV-2)はCOVID-19の原因であり、密接な接触を通してヒトとヒトとの間で広がる。著者らは、医療現場および非医療現場(地域など)での物理的距離の保持、マスク着用および眼の保護がウイルス伝播にもたらす効果を調べることを目的とした。 【方法】ヒトからヒトへの感染を避けるための最適な距離を調べ、マスクおよび保護めがね着用によるウイルス伝播予防効果を評価するため、系統的レビューおよびメタ解析を実施した。WHOおよびCOVID-19関連の標準的データベース21件から、SARS-CoV-2、重症急性呼吸器症候群を引き起こすベータコロナウイルス、中東呼吸器症候群のデータを取得した。データベース開始から2020年5月3日までのデータを検索し、言語は問わないが、比較試験や、妥当性、実行可能性、資源の利用および公平性に関する因子を特定した。記録をふるいにかけデータを抽出し、二重にバイアスリスクを評価した。頻度論的統計、ベイズ・メタ解析、ランダム効果メタ回帰解析を実施した。Cochrane法とGRADEアプローチに従って、根拠の確実性を評価した。この試験は、PROSPEROにCRD42020177047番で登録されている。 【結果】16カ国6大陸の観察的研究172件を特定した。無作為化試験はなく、44件が医療現場および非医療現場で実施した比較試験(対象計2万5697例)だった。1m未満の物理的距離と比べると、1m以上の距離でウイルスの伝播率が低く(1万736例、統合調整オッズ比[aOR]0.18、95%CI 0.09-0.38、リスク差[RD]-10.2%、95%CI -11.5--7.5、中等度の確実性)、距離が長くなるほど保護効果が高くなった(1m当たりの相対リスク[RR]の変化2.02、交互作用のP=0.041、中等度の確実性)。マスクの着用で感染リスクが大幅に低下し(2697例、aOR 0.15、95%CI 0·07-0.34、RD -14.3%、-15.9--10.7、低度の確実性)、使い捨てサージカルマスクや同等のマスク(再利用可能な12-16層の綿マスクなど)と比べるとN95や同等のマスクの方が関連が強かった(交互作用のP=0.090、事後確率95%未満、低度の確実性)。このほか、保護めがねでも感染率が低下した(3713例、aOR 0.22、95%CI 0.12-0.39、RD -10.6%、95%CI -12.5--7.7、低度の確実性)。未調整の試験、下位集団解析や感度解析からほぼ同じ結果が得られた。 【解釈】この系統的レビューおよびメタ解析の結果は、1m以上の物理的距離を支持し、政策決定者にモデルおよび接触者追跡の定量的推定を提供するものである。この結果および関連因子から、公共の場および医療現場でのマスク、医療用レスピレーターおよび保護めがねの最適な着用を広めるべきである。この介入の根拠を示す頑強な無作為化試験が必要であるが、現在の入手可能な科学的根拠の系統的評価は中間的なガイダンスになると思われる。 第一人者の医師による解説 44試験のメタ解析の結果 有用なエビデンス さらに今後の研究の蓄積が必要 荒岡 秀樹 虎の門病院臨床感染症科部長 MMJ. February 2021;17(1):14 新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)の主な感染様式は飛沫感染と接触感染であり、特殊な状況下(例、換気の悪い空間)では一部空気感染を示唆する報告もある。なかでも飛沫感染をどのように防止するかが感染予防の最優先事項と考えられている。本論文は、コロナウイルス(SARS-CoV-2、SARS、MERS)における感染予防法(身体的距離[physical distancing]、マスク、眼の保護)の効果を調べた44試験(患者25,697人)のメタ解析の報告である。 解析の結果、1m以上の身体的距離は、1m未満の身体的距離と比較して、ウイルス伝播を低下させることが証明された(補正オッズ比[aOR], 0.18;95%信頼区間[CI], 0.09~0.38;中程度の確実性)。この予防効果は距離が離れるほど強くなることも明らかとなった(中程度の確実性)。また、マスクの着用は感染のリスクを大幅に低下させた(aOR, 0.15;95% CI, 0.07~0.34;低い確実性)。マスクの感染リスク低下効果は市中よりも医療現場でより大きいことが示唆された。N95マスクはサージカルマスクと比較して予防効果が大きいことが示された。さらに、眼の保護も感染の減少と関連していた(aOR, 0.22;95% CI, 0.12~0.39;低い確実性)。 本研究は世界保健機関(WHO)の支援を受けて実施され、完全な系統的レビューの方法を遵守していることが強みである。また、GRADEアプローチに従って、証拠の確実性を評価している。2020年5月3日までの関連データを検索し、新型コロナウイルスのパンデミックが他の世界的な地域に広がる前に中国からのデータを含めて評価している。一方、本研究の限界として、対象の研究はいずれもランダム化されていないこと、多くの研究で身体的距離に関する正確な情報が提供されておらず推測が含まれること、ほとんどの研究がSARSとMERSについて報告したものであること、などが挙げられる。 今回のメタ解析の結果は、SARS-CoV-2に対する感染予防のランダム化試験がない状況下で、非常に有益な情報を私たちに与えるものである。1m以上の身体的距離が重要で、2m以上の距離はより有用な可能性がある。さらに、医療現場および市中でのマスク着用、眼の保護の重要性を明らかにした。本論文は、2020年5月3日までのエビデンスをまとめ、大変有用なものであるが、これ以降のSARS-CoV-2に特化した感染予防のエビデンスにも注目していきたい。
英国のSARS-CoV-2感染が確定し入院した妊婦の特徴と転帰 全国住民対象コホート研究
英国のSARS-CoV-2感染が確定し入院した妊婦の特徴と転帰 全国住民対象コホート研究
Characteristics and outcomes of pregnant women admitted to hospital with confirmed SARS-CoV-2 infection in UK: national population based cohort study BMJ. 2020 Jun 8;369:m2107. doi: 10.1136/bmj.m2107. 原文をBibgraph(ビブグラフ)で読む 上記論文の日本語要約 【目的】英国で重症急性呼吸器症候群コロナウイルス2(SARS-CoV-2)のため入院した妊婦の全国コホートの特徴を記述し、感染関連因子および感染伝播などの転帰を明らかにすること。 【デザイン】英国産科監視システム(UKOSS)を用いた前向き全国住民対象コホート研究 【設定】英国内の全194の産科ユニット(obstetric unit)。 【参加者】2020年3月1日から4月14日の間にSARS-CoV-2感染のため入院した妊婦427例。 【主要評価項目】妊娠中の入院および新生児の感染の発生。母体の死亡、レベル3集中治療室への入室、胎児喪失、帝王切開分娩、早産、死産、早期新生児死亡および新生児ユニット入室。 【結果】妊娠中のSARS-CoV-2感染による入院発生率は、妊婦1000例当たり4.9(95%CI 4.5-5.4)と推定された。妊娠中SARS-CoV-2感染のため入院した妊婦233例(56%)が黒人またはその他の少数民族であり、281例(69%)が過体重または肥満、175例(41%)が35歳以上であり、145例(73%)に基礎疾患があった。266例(62%)が出産または妊娠喪失し、そのうち196例(73%)は正期産だった。41例(5%)が呼吸補助を要したため入院し、5例(1%)が死亡した。新生児265例のうち12例(5%)が検査でSARS-CoV-2 RNA陽性を示し、そのうち6例が出生後12時間以内に陽性が確定した。 【結論】SARS-CoV-2のため入院した妊婦のほとんどが妊娠第2または第3三半期であり、後期妊娠中に社会的距離を保持する指導の重要性を裏付けるものである。ほとんどが転帰良好であり、児へのSARS-CoV-2伝播の頻度は高くない。感染のため入院した妊婦に黒人または少数民族の割合が高いことについては、早急な調査と原因解明が必要とされる。 第一人者の医師による解説 迅速に妊婦感染者を集めた英国調査 日本の疫学調査の脆弱性を痛感 木村 正 大阪大学大学院医学系研究科産科学婦人科学教室教授 MMJ. February 2021;17(1):11 2019年末に中国武漢市で最初に確認された新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)は瞬く間に世界規模の流行を引き起こし、世界保健機関(WHO)は2020年3月に同感染症(COVID-19)の世界的流行を宣言した。インフルエンザ等類似ウイルス呼吸器感染症の経験から妊婦は重篤化するリスクが高いと推測された。感染例の出産に関する報告はすでに5月までに数多くなされたが、施設単位・少数例の集積であった。本論文は出版時点では唯一の国人口ベースでの報告である。3月1日~4月14日に英国産科サーベイランスシステムを用いて同国内でコンサルタントを置く全分娩施設194施設から情報を集積した。調査期間中に427人の妊婦がSARS-CoV-2感染のため入院し(1,000人あたり4.9)、56%はアフリカ系・アジア系などの(英国社会の)少数派であった。69%は過体重または肥満、41%は35歳以上、34%に併存合併症があった。266人はこの期間内に妊娠が終了し、このうち流産4人、早産66人(うち53人は医学的適応)、正期産は196人(分娩の75%)であった。156人が帝王切開を受け29人は全身麻酔(うち18人は母体の呼吸状態悪化による挿管)下で行われた。入院した妊婦427人中41人は高度集中治療、4人は体外式膜型人工肺(ECMO)管理を受けた。観察期間に5人が死亡、397人は軽快退院、25人は入院中であった。新生児は3人が死産、2人が新生児死亡。生産児265人中67人は新生児集中治療室で管理され、12人がPCR検査陽性となった。生後12時間以内に陽性となった6人中2人は経腟分娩、3人は陣痛発来前の帝王切開、1人は発来後の帝王切開であった。 日本では日本産婦人科医会が6月末までの感染妊婦アンケートを行い、72人の感染(有症状者58人)が1,481施設から報告された。罹患率は報告施設の半年間の分娩数から10,000人あたり2人程度となり、今回の報告に比べ20分の1である。10人に酸素投与が行われ、1人が人工呼吸管理を受け死亡した(入国直後の外国籍女性)。児への感染はなかった。日本産科婦人科学会では、研究機関・学会での倫理審査を終え、新型コロナウイルス感染妊婦のレジストリ研究を開始し、9月から登録を募っている。しかし、国は研究費補助のみで研究班が個人情報保護法を意識しながら体制を構築したため時間がかかり、適時に十分な情報を国民に届けることができなかった。本論文は日英の医学研究におけるスピード感の差を如実に表し、最近の日本における個人情報保護法をはじめとするさまざまな制約は迅速な疫学情報収集を脆弱化させていることを改めて痛感している。
月経周期が規則的な女性の顕微鏡受精中の全胚凍結と新鮮胚移植戦略の比較 多施設共同無作為化比較試験
月経周期が規則的な女性の顕微鏡受精中の全胚凍結と新鮮胚移植戦略の比較 多施設共同無作為化比較試験
Freeze-all versus fresh blastocyst transfer strategy during in vitro fertilisation in women with regular menstrual cycles: multicentre randomised controlled trial BMJ. 2020 Aug 5;370:m2519. 原文をBibgraph(ビブグラフ)で読む 上記論文の日本語要約 【目的】生殖補助医療で用いる全胚凍結戦略と新鮮胚移植戦略の妊娠継続率を比較すること。 【デザイン】多施設共同無作為化対象優越性試験。 【設定】デンマーク、スウェーデンおよびスペインの公立病院8施設内の外来不妊治療クリニック。 【参加者】月経周期が規則的で体外受精または卵細胞質内精子注入法いずれかで第1~3治療サイクルを開始する18~39歳の女性460例。 【介入】女性をサイクルの2日目または3日目のベースラインで、トリガーにゴナドトロピン放出ホルモン作動薬を用いて、続く自然サイクルで単一凍結融解胚盤胞を移植する全胚凍結群(全胚の選択的凍結)と、トリガーにヒト絨毛性ゴナドトロピンを用いて、次のサイクルで単一胚盤胞を移植する後新鮮胚移植群に無作為に割り付けた。トリガー投与時に11mm超の卵胞が18個以上あった新鮮胚移植群の女性で、安全策として全胚を凍結し、移植を延期した。 【主要評価項目】主要評価項目は、妊娠8週後の胎児心拍確認と定義した妊娠の継続率とした。生児出生率、ヒト絨毛性ゴナドトロピン陽性率、妊娠までの期間および妊娠関連の母体および新生児の合併症を副次評価項目とした。腫瘍塊性はintention-to-treat原理に従って実施した。 【結果】全胚凍結群と新鮮胚移植群の妊娠継続率に有意な差はなかった(27.8%[223例中62例]vs 29.6%[230例中68例]リスク比0.98、95%CI 0.87~1.10、P=0.76)。さらに、生児出生率にも有意差はなかった(全胚凍結群27.4%[223例中61例]、新鮮胚移植群28.7%[230例中66例]、リスク比0.98、95%CI 0.87~1.10、P=0.83)。ヒト絨毛性ゴナドトロピン陽性率および妊娠喪失にも群間差は見られず、重度卵巣過剰刺激症候群を来した女性は1例もなかった。新鮮胚移植群で、この処置に関連する入院がわずか1例あったのみである。妊娠関連の母体および新生児の合併症リスクは、凍結胚盤胞移植後の平均出生体重が多かった点および新鮮胚移植後に早産のリスクが上昇する点を除き、差は認められなかった。全胚凍結群のほうが妊娠までの期間が長かった。 【結論】規則的な月経がある女性で、卵成熟のためにゴナドトロピン放出ホルモン作動薬を用いた全胚凍結戦略で、新鮮胚移植戦略よりも妊娠継続率および生児出生率が上昇することはなかった。この結果を鑑みると、卵巣過剰刺激症候群の明らかなリスクがない場合でも見境なく全胚凍結戦略をとることに対して注意が必要である。 第一人者の医師による解説 卵巣過剰症候群のリスクがなければ 新鮮胚移植を優先すべきである 末岡 浩 慶應義塾大学医学部臨床遺伝学センター MMJ. February 2021;17(1):29 近年、不妊で悩むカップルは増加傾向にあり、さらに女性の社会進出によって不妊治療の機会が十分に得られずに離職を選ぶ人がいることも大きな課題である。生殖補助医療の発展・普及は目覚ましく、日本の出生児の16人に1人は体外受精で妊娠に至っており、そのうち70%は凍結胚移植である。海外では凍結胚の妊娠は日本ほど多くはないが、メリットの観点から増え続けている。胚の凍結は、余剰胚の有効活用に加えて、多胎の防止、排卵誘発に伴う通常周期よりも高レベルのホルモン環境中の胚移植を避け、時には重篤な状態を引き起こす可能性のある卵巣過剰刺激症候群の発生を防ぐことができるなど、有益な点が少なくないと考えられてきた。一方、凍結融解による胚への侵襲と妊娠成績への影響が懸念されている。 本論文は、欧州3カ国8施設で18~39歳の正常排卵周期を有する女性460人を対象に凍結胚移植の新鮮胚移植に対する優越性を検討した多施設共同無作為化対照試験の報告である。患者に対して排卵誘発剤による卵巣刺激を行い、最終的にヒト絨毛ホルモン(hCG)注射による排卵誘導を行った後、採卵し、通常の体外受精または顕微授精によって得られた胚を5~6日間体外で胚盤胞に至るまで培養し、新鮮胚移植群では5~6日目に移植した。凍結胚移植群では排卵時期を特定するため排卵誘導にはhCGの代わりにゴナドトロピン分泌ホルモンアゴニスト(GnRHa)を投与し、排卵の上で同期化した時期に子宮に移植した。妊娠率、分娩に至った割合、流産率のほか、排卵誘発剤による副作用としての卵巣過剰刺激症候群、出生体重の変化などを検討した。 その結果、凍結胚移植群と新鮮胚移植群で妊娠率、出生率、流産率には差がなく、凍結周期が妊娠成績に好結果をもたらすとした既報とは異なる結論が得られた。懸念されていた卵巣過剰刺激症候群の発生については、1例を除き、排卵誘発した周期に行った新鮮胚移植でも腹水貯留や入院管理を必要とする重症例は認められなかった。ただし、採卵周期の排卵誘発時から医療サイドの注意したことが功を奏した可能性はある。一方、凍結胚移植では有意な児体重の増加および早産率の上昇がみられ、妊娠までの期間が長くなった。今回の検討結果からGnRHaとhCGの排卵誘導に関して、また新鮮胚移植と比較して、凍結胚移植による妊娠出産率への効果に有意差はなかったことが示された。このことから、卵巣過剰刺激症候群のリスクがない時にまですべての胚で凍結胚移植を選択すべきではなく、新鮮胚移植を優先すべきであることが示唆された。
重症急性胆石性膵炎が疑われる症例に用いる緊急内視鏡的逆行性膵胆管造影による括約筋切開と保存的治療の比較(APEC試験) 多施設共同無作為化比較試験
重症急性胆石性膵炎が疑われる症例に用いる緊急内視鏡的逆行性膵胆管造影による括約筋切開と保存的治療の比較(APEC試験) 多施設共同無作為化比較試験
Urgent endoscopic retrograde cholangiopancreatography with sphincterotomy versus conservative treatment in predicted severe acute gallstone pancreatitis (APEC): a multicentre randomised controlled trial Lancet. 2020 Jul 18;396(10245):167-176. 原文をBibgraph(ビブグラフ)で読む 上記論文の日本語要約 【背景】緊急内視鏡的逆行性膵胆管造影(ERCP)による括約筋切開術によって胆管炎の合併がない胆石性膵炎の転帰が改善するかはいまだに明らかになっていない。著者らは、無作為化試験を実施し、重症急性胆石性膵炎患者に用いる緊急ERCPによる括約筋切開と保存的治療を比較した。 【方法】オランダの病院26施設で実施した多施設共同並行群間評価者盲検無作為化比較優越性試験では、胆管炎の合併がなく重症胆石性膵炎(APACHE IIスコア8点以上、Imrieスコア3点以上、CRP 150mg/L超)の疑いがある患者を適格とした。Webベースの無作為化モジュールを用いて無作為に選択したブロックサイズで被験者を緊急ERCPによる括約筋切開(受診後24時間以内)と保存的治療に(1対1の割合で)無作為に割り付けた。主要評価項目は、無作為化後6カ月以内の死亡または主要合併症(新たに発症した臓器不全の持続、胆管炎、菌血症、肺炎、膵臓壊死または膵機能不全)の複合としたintention to treatで解析した。この試験は、ISRCTNレジストリにISRCTN97372133番で登録されている。 【結果】2013年2月28日から2017年3月1日までの間に、232例を緊急ERCPによる括約筋切開(118例)と保存的治療(114例)に無作為に割り付けた。入院時、緊急ERCP群の1例に胆管炎、保存的治療群の1例に慢性膵炎があったため、ともに最終解析から除外した。主要評価項目は、緊急ERCP群117例中45例(38%)、保存的治療群113例中50例(44%)に発生した(リスク比0.87、95%CI 0.64-1.18、P=0.37)。胆管炎の発症[緊急ERCP群117例中2例(2%)、保存的治療群113例中11例(10%)、RR 0.18、95%CI 0.04-0.78、P=0.010]を除き、主要評価項目を構成する個々の要素に重要な差はなかった。緊急ERCP群118例中87例(74%)、保存的治療群114例中91例(80%)に有害事象が報告された。 【解釈】石性膵炎の疑いがあるが胆管炎の合併がない患者で、緊急ERCPによる括約筋切開によって主要合併症と死亡の複合とした評価項目は減少しなかった。この結果から、重症急性胆石性膵炎が疑われる患者には保存的治療を実施し、胆管炎の合併または胆汁うっ滞が示唆される場合のみ緊急ERCPを施行することが推奨される。 第一人者の医師による解説 胆管炎合併の有無の判断に迷う患者も多く 患者に応じた方針決定が必要 三箇 克幸 横浜市立大学医学部消化器内科学/前田 愼 横浜市立大学医学部消化器内科学主任教授 MMJ. February 2021;17(1):23 胆石性膵炎は急性膵炎の最も一般的な成因であり、胆管炎、臓器不全、およびその他の生命を脅かす合併症を発症することがあるため、治療戦略は重要である。ガイドラインによると、胆管炎を伴う胆石性膵炎では、緊急内視鏡的逆行性胆管膵管造影(ERCP)が推奨されており、胆汁うっ滞を合併する胆石性膵炎でも緊急 ERCPが有用である可能性が示唆されている(1)。一方で、胆管炎や顕著な胆汁うっ滞を合併しない胆石性膵炎の症例に対する、緊急ERCPは保存的治療よりも有用か否かは証明されていないのが現状である。 本論文は、胆管炎を合併しない重篤な経過が予測される胆石性膵炎に対して、乳頭括約筋切開術を伴う緊急 ERCPが保存的治療に比べ有用か否かを評価することを目的に、オランダの26施設で施行された無作為化対照試験(APEC試験)の報告である。APEC試験では胆管炎を合併しない重篤な経過が予測される胆石性膵炎患者を、診断後24時間以内および発症後72時間以内に緊急 ERCPを施行した群(117人)と保存的治療群(113人)に無作為化し評価した。主要評価項目は観察期間の6カ月間における死亡と合併症の複合エンドポイントであった。合併症は、持続する臓器不全、胆管炎、膵実質壊死、菌血症、肺炎、膵内分泌または外分泌機能不全と定義された。 その結果、主要評価項目である死亡・合併症の発生率は、緊急 ERCP群では38%(45/117)、保存的治療群では44%(50/113)であり、統計学的有意差は示されなかった。合併症の多くは両群間で発生率に統計学的有意差は認めなかったが、胆管炎の発生率のみ、保存的治療群の10%(11/113)と比較し、緊急 ERCP群で2%(2/117)と有意に低下した。 今回の研究結果から、重篤な経過が予測される急性胆石性膵炎において、胆管炎を合併する患者においてのみ、緊急ERCPを施行し、それ以外は保存的治療が推奨される。 本研究の限界は、胆石性膵炎自体にも発熱を伴うことがあるため、胆管炎を合併しているか否かの診断が困難な患者も多く存在する点である。また総胆管結石の正診率は超音波内視鏡検査が、生化学検査や放射線検査よりも高いとされている(2)。しかし、超音波内視鏡検査の汎用性の問題から実臨床では生化学検査や放射線検査を用いて評価することが多く、本研究でも同様である。これらの影響に関して、本研究では明らかでないため、今後のさらなる検討が必要である。 1.Tenner S, et al. Am J Gastroenterol.2013 Sep;108(9):1400-1415. 2.Giljaca V,et al.Cochrane Database Syst Rev.2015 Feb 26;2015(2):CD011549.
#02 楽しい思い出しかない。優秀なスタッフとの出会いや学びはよい刺激になります。
#02 楽しい思い出しかない。優秀なスタッフとの出会いや学びはよい刺激になります。
発展途上国、日本のへき地離島、大規模災害の被災地……。世の中には「医療の届かないところ」があります。NPOジャパンハートはそんなところに、無償で医療支援を行っています。ボランティアとして参加した医療従事者が、現地での活動内容などを報告します。 - 専門科:口腔外科 - 医師歴:15年 - ジャパンハートでの活動期間:2015年4月~2016年3月 - 活動国:ミャンマー (長期ボランティア終了後は月に一度ミャンマーで活動しています) ─ 活動地での業務内容・役割を教えてください。 現地スタッフ、研修生(看護師)の指導、外来診察、寺子屋事業、洪水災害支援、 手術室管理、患者データベース管理、手術(口腔外科分野のみ)、等々。たまに料理指導。 ─ ジャパンハートで活動を始めた理由を教えてください。 発展途上国で口唇口蓋裂の治療に携わりたいと、大学生の頃から思っていました。 吉岡秀人先生が海外で口唇裂の手術をしていることを知り、ミャンマーを訪れました。「うちに来たらいいよ」とお声かけいただき、大学病院を辞め、活動を始めました。 ─ 参加までのハードルや解決すべき課題など(仕事・お金・家族の説得など) 仕事:大学病院を辞めることで迷惑をかけてしまうのではないか、まだ何の技術や知識もない私がミャンマーで何ができるのか、日本でもっと努力すべきことがあるのではないか、等々、不安はありました。しかし退職した翌日、びっくりするほど晴々とした気持ちの自分がいました。これからやりたいことに向かって進める希望に満ち溢れていました。“自由だ!”と心の中で叫びました。 お金:死なない程度のお金があればいいかと軽い気持ちでした。帰国後、銀行の預金残高を見て少し焦りましたが、なんとかなります。生きていける。 家族の説得:全てが決まってから打ち明けました。父からは「そうか」の一言でした。 ─ 言語・価値観・が違う現地の方々、また駐在している日本の医療者との活動で困ったこと、また工夫などありましたら教えてください。(スタッフとの連携や、人間関係) 不思議と困ったことが思い出せません。楽しい思い出しかない。おそらく大変だったこと、困ったことはあったかもしれませんが、そのような体験の方が後々思い出され、笑い話にもできるくらいです。 言語については、ミャンマーの場合、拠点病院であるワチェ慈善病院には日本語が話せる現地スタッフが大勢いますので、ミャンマー語と日本語のミックスで会話していました。現地ドクターとは英語で話していました。 価値観は日本にいてもどこの世界に行っても、違う人は違う。国によって差はないと思っているので、そのことについては考えたこともありません。 ─ 現地で医療をする楽しみはなんですか? いろいろな人に出会えることです。ドクターに限らず、看護師、地域の方々から学ぶことは多々ありました。学歴や年齢、経験年数は違えども、優秀な人はたくさんいることに、再度気づかされました。皆さん本当に勉強熱心です。 ─ 活動地での忘れられないエピソードがあれば教えてください。 多すぎてこの紙面だけでは書ききれません。もちろんつらいエピソードはありません。 知りたい!という方は一晩かけてお話します。 ─ 帰国後はどのような活動をされていますか? 現地に口唇口蓋裂センターを立ち上げるべく、定期的にミャンマーを訪問しています。現在は月に1回くらいでしょうか。 ─ 帰国後の進路について、参加前に準備していた、戻ってくる環境を整えていた等、参加中~終了前にどういう動き(就職活動的なこと)をしたか、などありましたらお聞かせください。 帰国後の進路は決めずに行きました。なんとかなるだろうと思っていました。 上記にも示したとおり、死にゃしないだろうと。これは参考になりませんので、一個人の意見として受け取っていただければ幸いです。 ただし活動を続けるためにはお金が必要です。自分の生活と現地での活動。バランスが難しいですね。永遠のテーマです(すみません大げさです)。 ─ 今後の参加者へのアドバイスと、参加を迷われている方へ一言お願いします。 迷われている先生がいれば言いたい。とにかく行ってみて。以上です。 (ジャパンハート 2019年7月12日掲載) ジャパンハートは、ミャンマー、カンボジア、ラオスで長期ボランティアとして活動してくれる医師を募集しています。 オンライン相談会を実施中です。「医療の届かないところに医療を届ける」活動に関心のある方は、ちょっとのぞいてみてください。 〉ジャパンハート オンライン相談会ページ
#01 医療が人を幸せにしている。その原点に触れられることが最大の楽しみ。
#01 医療が人を幸せにしている。その原点に触れられることが最大の楽しみ。
発展途上国、日本のへき地離島、大規模災害の被災地……。世の中には「医療の届かないところ」があります。NPOジャパンハートはそんなところに、無償で医療支援を行っています。ボランティアとして参加した医療従事者が、現地での活動内容などを報告します。 - 専門科:小児科 - 医師歴:7年目 - ジャパンハートでの活動期間:5ヶ月間 ─ 活動地での業務内容・役割を教えてください。 一般小児科外来、小児科病棟管理 ─ ジャパンハートで活動を始めた理由を教えてください。 もともと国際協力に興味がありいつか関わりたいと思っていた。ジャパンハートは参加にあたってのハードル(英語力や臨床経験年数)が低く参加しやすかった。 ─ 参加までのハードルや解決すべき課題など(仕事・お金・家族の説得など) 現地の物価が安く金銭面では思っているほど困らなかった。国内の立場を捨てて海外に飛び出すのは色々と不安があるかと思いますが、現地での経験は帰国後も必ず役立ってくると思いますしなにものにも代えがたい経験ができたと自分は思っているので、全く後悔ありません。自分は家族ができる前に行った方が気持ちが楽だと思って独身のうちに参加しましたが、現地では家族の理解も得て滞在しているスタッフも数多くいました。 ─ 言語・価値観・が違う現地の方々、また駐在している日本の医療者との活動で困ったこと、また工夫などありましたら教えてください。 様々な背景を持った方々と働くことになるので、常に相手の立場を考えること、リスペクトを忘れないこと、は大事だと思います。 ─ 現地で医療をする楽しみはなんですか? 現地の医療は、本当に困っている患者さんに、限られた医療資源でなんとか救いたい、なんとか助けたい、という思いで行う医療です。必死に患者さんと向き合っているうちに、日本では気づかなくなりがちな、医療が人の幸せのために行なっている、という当たり前でシンプルなことにハッと気づかされることと思います。医療の原点に触れられること、それが最大の楽しみだと思います。 ─ 活動地での忘れられないエピソードがあれば教えてください。 エピソードではありませんが、、、現地で出会った人たちとの出会いは本当に掛け替えのない財産です。 ─ 帰国後はどのような活動をされていますか? 僕は出発前に帰国後の職場を決めてから参加しましたが、現地では特に進路を決めることなく参加している人もいらっしゃいました。その方々も帰国後、復職されています。やはり有資格の医療職は復職しやすいと思いますし、縁故採用もまだまだ多いと思うので、思っているよりは復職のことはあまり気にされなくてもいいかもしれません。 ─ 今後の参加者へのアドバイスと、参加を迷われている方へ一言お願いします。 現地での経験は、医療人としてだけではなく一人間としての人生観をも全く新しい境地に連れて行ってくれることと思います。 (ジャパンハート 2019年7月1日掲載) ジャパンハートは、ミャンマー、カンボジア、ラオスで長期ボランティアとして活動してくれる医師を募集しています。 オンライン相談会を実施中です。「医療の届かないところに医療を届ける」活動に関心のある方は、ちょっとのぞいてみてください。 〉ジャパンハート オンライン相談会ページ
第2章 第4話 太郎さんがくれたもの
第2章 第4話 太郎さんがくれたもの
第2章:果たされなかった約束 第4話:太郎さんがくれたもの 緩和ケアチームを交えて話し合うことについて、主治医で循環器内科の田川賢治医師(40)は、患者の家族がどんな反応を示すのか不安だった。だが、長男夫妻は特に抵抗感はないようで快く受け入れてくれた。 面談室には、田川医師、緩和ケアチームの山崎直樹医師(43)と小泉茜看護師(38)、患者の長男である赤村正さん(45)夫妻の計5人が集まった。 まず田川医師が患者の赤村太郎さん(70)の病状を改めて説明した。心臓と足の血管狭窄があり、心停止に陥ったが心肺蘇生で一命を取り留めたこと、ただし現状では改善の見込みはほとんどなく、延命治療を続けている状態にあること。 その後、緩和ケアチームの山崎医師と小泉看護師が話を引き継いだ。2人はしばらく、天気や正夫妻の子供のことなど医療とは関係のない話をした。 そして、山崎医師が「正さんからみて、太郎さんってどんな人でしたか?」と質問した。 正さんは、時々目を閉じて、懐かしむように父太郎さんのことを話してくれた。 太郎さんは証券会社に勤めており、いつもとても忙しそうだった。特にバブルの頃はほとんど家に帰ってくることがなく、正さんとしばしば衝突したという。 大学生のころに登山部に入っていたほど山登りが好きで、最近も年に1~2回は1人で山に出かけていた。几帳面な性格で、今まで登った山については、そこで撮影した写真と共に記録ノートを作っている。先日、そのノートを太郎さんと正さんで見ていた時、正さんが小さい頃によく親子2人で登った由布岳の写真がたくさん出てきた。久しぶりに今年、ミヤマキリシマが見ごろを迎える5月下旬~6月中旬のどこかで、2人で由布岳に登ろうと約束をしていたのだそうだ。 また、太郎さんの妻は4年前にくも膜下出血で亡くなっている。妻が倒れたのは、太郎さんの定年祝いを兼ね、夫妻でヨーロッパ旅行に出発する2日前だったという。 田川医師は太郎さんのことを何も知らなかったことに愕然とした。どんな仕事をしていたのかも、山登りが好きだったことも聞いていない。太郎さんの妻がくも膜下出血で亡くなったことは正さんから伝えられていたが、定年祝いの旅行直前に発症したことは初耳だった。何も言えないまま、山崎医師と小泉看護師が話を進めていくのを聞いているしかなかった。 そして、話はケアのゴールのことに移っていった。 正さんは「母が半年間の闘病の末に体中管だらけになって、意識が戻らずに亡くなったことに後悔があったようです。母さんみたいな死に方はしたくないと言っていました。それから、父は医療のドキュメンタリーやドラマを見るのが好きでした。ストーリーの中で管に繋がれた患者が出てくると、『俺はここまでして生きたくないなぁ』とも話していましたね。『最期はピンピンコロリといきたいわ』なんて」と太郎さんの思いを話した。 結局その時は、ECMO(注)や人工呼吸器を外すかどうかの結論には至らなかった。緩和ケアチームも一緒に治療を考えていくことを約束し、正さん夫妻は帰っていった。 しかしその晩、太郎さんは急激に状態が悪化し、死亡した。 ×     ×     × いつの間にか、病院内のカフェは席がほぼ埋まっていた。 田川医師は山崎医師の話に注意深く耳を傾けている。 「赤村さんのような人も、それはかなり少ないですが、いるんですよ。だから、救急現場でもDNAR(do not attempt resuscitation:心肺蘇生を行わないこと)について確認することが重要なんです。ただ、いきなり話すのではなく、まず過去にDNARやACP(Advance Care Planning:終末期医療や介護について話し合うこと)について医療者や代理意思決定者と話し合ったことがあるかどうかを聞いてみてください。そして次に、QOL(生活の質)を踏まえた上で延命が何よりも大切かどうかを確認する必要があります。これがYesであれば、無理やりDNARを推奨しても話は平行線になります。いったんその議論は止めて、まず治療を優先したほうがいいでしょう」 「もし、Noだったら? その時はどんな対応をすべきなのでしょうか」 「DNARを強く勧めるのではなく、まずCPR(心肺蘇生法)とは何なのか、なぜ必要でどれくらい効果が見込め、本人の希望と合致しそうか――について一緒に考えてみてください。そして最後に、決まったことを確認してください。救急外来での本人や家族の決定は変わりやすいことも知られていますので、無理に決める必要はありません。話し方一つで、より患者さんの思いに寄り添った意思決定ができます」 「なるほど――。山崎先生とお話しせずにいたら、赤村さんのこともどうなっていたか分かりませんし、将来的には、自分の医学的予想に従ってDNARを一方的に患者や家族に提示するようなことがあったかもしれません」。田川医師はため息をつきながら小さく首を横に振った。 「私もね、あの時こうやっておけばよかったとか、自分が担当じゃなければもっと良い結果になったんじゃないかと悩むことがあります。自分が無知なために、患者や家族を傷つけることがあるのではないかと怖くなることがあります。でも、自分を責めるだけでは起きてしまったことは変わりませんし、起こるかもしれないことを恐れていたら何もできなくなってしまいます。DNARについて深く考え、知るきっかけを作ってくれた赤村さんに感謝し、前に進むべきなのではないでしょうか」 少しの沈黙の後、田川医師が立ち上がった。「さて、そろそろ行きます。今日は、もう休みなんですよ。帰りがけに登山用品店で登山靴を買おうと思います。次の休みに由布岳に登ってみようかなと。ミヤマキリシマ、咲いてますかね」 (注)ECMO 経皮的補助循環装置。心臓や肺が悪く、全身の血液循環が保たれなかったり、血液に酸素を取り込むこと(酸素化)ができなくなったりした患者に使用する。ボールペンほどの太さ(外径約8mm)のシース(管)を両側の太ももに1本ずつ、または太ももと首に1本ずつ挿入して使用する。血液を体から取り出して人工肺に送り、二酸化炭素を除去した上で酸素を加えて体内に戻す。
第2章 第3話 田川医師の本音
第2章 第3話 田川医師の本音
第2章:果たされなかった約束 第3話:田川医師の本音 A病院では毎朝、ICUチームと循環器チームによるカンファレンスが行われる。 冠動脈の狭窄で心停止に陥り、蘇生措置で一命を取り留めた赤村太郎さん(70)については、「終末期状態であり、治療方針を変更した方がいいのではないか」という声がいくつか上がった。 ただ主治医で循環器内科の田川賢治医師(30)としては、1%でも回復の可能性が残っているのならばそれにかけたいという思いがあった。また、現状への責任を感じており、終末期であることを認めることができなかった。 みんなが考え込む中、ICUチームの看護師から緩和ケアチームへのコンサルテーションについて提案があった。 田川医師は悩んだ末、決して前向きにではなかったが、看護師の提案を受け入れることにした。「早期からの緩和ケア」「非がんの緩和ケア」というものが最近話題になっているのをどこかで耳にしたことがあったのと、状況改善に向けて何かに救いを求めたい気持ちがあるのも、また事実だったからだ。 その日の午後、緩和ケアチームの医師と看護師が田川医師の所にやってきた。医師は山崎直樹、看護師は小泉茜と名乗った。何となく院内で顔を見かけたことがある程度で、ほとんど知らない2人だ。 田川医師は顔をしかめていた。「もし、治療の中止や、麻薬や鎮静薬の投与を提案されたら、きっぱりと断ろう」。そう身構えていた。 まず田川医師から、これまでの状況について説明を行った。ショック状態に陥ったが蘇生に成功したこと、患者本人は家族にDNAR(do not attempt resuscitation:心肺蘇生を行わないこと)を希望すると伝えていたこと、しかし田川医師たちがその希望を知ったのは患者がICUに入室した後だったこと、今は長男夫妻も治療を希望していること、改善の見込みは極めて低いが完全にゼロとはいえないこと――。何かに追い立てられるかのように、一気にしゃべった。 山崎医師と小泉看護師は、じっと田川医師の話を聞いていた。説明が終わると、小泉看護師が「先生、本当によく頑張ってこられたんですね」と優しい声で言った。まさかそんな言葉をかけられるとは思っていなかった田川医師は、驚くと共に目頭が熱くなるのを感じた。何か肩の荷が下り、救われたような気がした。 「私はどうすればいいんですかね」。田川医師の口から、思わず本音がこぼれた。 後は止まらなかった。「本当は、来院時に心臓のことまで疑って、もっとしっかり状態を観察したり、検査を早めたりしておけばよかったと後悔しているんです。いつもはDNARかどうかを最初に確認するのに、この人だけはそれをしなかった。何としても治療したい、DNARと言われたらそれができなくなる。そんな思いが巡っていたんです」 山崎医師と小泉看護師は、相槌を打ちながら真剣な表情で話を聞いていた。山崎医師が言う。「そういう葛藤の中、ここまで治療を続けてこられたんですね」 緩和ケアチームの2人と話しているうちに、田川医師の中から「何としても治療を続ける」という意地のような思いが消えていった。太郎さんにとって何がベストなケアなのかだけを考えるようになった。 「ECMO(注)をいつまで続けるべきなのか。人工呼吸器の設定をこれからも強化していくべきなのか。強心剤はどこまで増量すべきなのか。治療の方針については悩みが尽きません」。そう田川医師が言うと、山崎医師が「赤村さんの『ケアのゴール』についての話し合いって、今まで行いましたか?」と聞いた。 ケアのゴール――。田川医師には聞き馴染みのない言葉だった。 山崎医師が続ける。「救急や集中治療においては、治療手段から治療方法を考えることが一般的だと思います。例えば、挿管という手段を行うのか行わないのかを事前に示すことで、その後の治療方法が決まるということです。一方で緩和ケアが中心になる場合は、患者の嗜好や人生観からゴールを設定するという考え方があります」 「例えば、家族と過ごす時間を何より大切にする患者さんだったら、それがかなえられる環境を整えます。たとえそれが医療的介入を減らさなければならなくなっても、患者さんの意思の尊重を重視します。そのためには、この患者さんがどんな人生を送り、どんなことを好んでいて、どんな人生の閉じ方をしたいのかについて話すことが大切です」と小泉看護師が補足した。 太郎さんは、もう話すことはできない。田川医師は「もっと早く話し合っておけば良かったのですが……」とうなだれた。 「今からでもできることがあります。一緒に長男夫妻からお話を聞いてみましょう」と山崎医師が提案した。 (注)ECMO 経皮的補助循環装置。心臓や肺が悪く、全身の血液循環が保たれなかったり、血液に酸素を取り込むこと(酸素化)ができなくなったりした患者に使用する。ボールペンほどの太さ(外径約8mm)のシース(管)を両側の太ももに1本ずつ、または太ももと首に1本ずつ挿入して使用する。血液を体から取り出して人工肺に送り、二酸化炭素を除去した上で酸素を加えて体内に戻す。 第4話「太郎さんがくれたもの」へ
第2章 第2話 太郎さんが望んでいた最期の迎え方
第2章 第2話 太郎さんが望んでいた最期の迎え方
第2章:果たされなかった約束 第2話:太郎さんが望んでいた最期の迎え方 「実は、父は蘇生措置を希望していなかったんです」 冠動脈の高度狭窄で心停止に陥り、蘇生措置で一命を取り留めた赤村太郎さん(70)の長男正さん(45)は、主治医の田川賢治医師(30)にそう言った。 4年前にくも膜下出血のために64歳で亡くなった太郎さんの妻(正さんの母)のことが関係しているという。 妻の状態は最初からかなり悪かったが、太郎さんは治療を熱望した。医師や看護師は懸命に治療を行ったが効果はなく、体に繋がる管は徐々に増えていった。そのまま意識は戻らず、半年間の闘病の末に病院で亡くなった。 妻の三回忌の準備をしている時、太郎さんは「もし自分が悪くなっても、一切の蘇生措置は行わないでほしい。母さんみたいな治療は望まない」と正さん夫妻に話したという。 「本当は入院をした時にお伝えした方がよかったんでしょうけど、今回は足の病気だと思っていたので、まさかこんなことになるとは考えてもいませんでしたから。それに、そんなことをいきなり先生に言っても困るでしょうし。でも、蘇生措置をしてもらったことはありがたいと思っています。こうして生きている父と会えたのですから……」 正さんの話す姿には無念さがにじみ出ており、田川医師は言葉通りに受け止めることはできなかった。 ×     ×     × 「入院時に赤村さんとDNAR(do not attempt resuscitation:心肺蘇生を行わないこと)の話をしておけばよかったと、そのことばかり考えてしまうんですよ」。病院のカフェの天井を遠い目で見ながら田川医師が言った。 「そんなに自分を責めないでください」。向かいの席に座っている緩和ケアチームの山崎直樹医師(43)が静かに言葉をかける。「もちろん、入院時にDNARについての書面を過去に作ったことがあるかどうかを確認するのはとても大切なことです。ただ、もしあったとしても、患者の気持ちがその時点で変わっていない保証はありませんし、救急外来で無理に指示を決めてもらう必要はありません」 「DNARは大きく3つのパターンに分けられるんです」。山崎医師は詳しい説明を続けた。 1つ目は「あらかじめ価値観などについての話し合いが適切なプロセスで行われた上で、DNARを患者本人・代理意思決定者が希望する場合」だ。事前に価値観や人生観をゆっくり話し合った上で、本人から確認が取れるのが理想だ。 2つ目は「患者・代理意思決定者に対し、医療者からCPR(心肺蘇生法)の中止を推奨する場合」。救急現場では医療者も家族もDNARについて冷静に考えられるものではない。ただ、医療者は、CPRで蘇生する見込みが少なかったり、蘇生してもものすごくQOL(生活の質)が下がる可能性が高かったりすることを想像できる。そういう時に、代理意思決定者にDNARについて話をする必要がある。 3つ目は「CPRが無益なものと考えられ、医療者から一方的に中止する場合」だ。30分くらいCPRをしたり、がん末期でCPRの効果がほぼないと考えられたりする際にこれが当てはまる。 田川医師は山崎医師の説明を聞きながら、「太郎さんは1つ目のパターンで、本人からも家族からもDNARの意思が確認できたはずだ」と振り返っていた。 ×     ×     × 太郎さんがICUに入室してから5日間が経過した。改善の見込みがないことは明らかだった。ECMO(注)を外す前段階として徐々に出力を落とす「weaning」を試みると血圧が下がってしまう。さらに、MRSA肺炎や腎不全も併発した。 救命処置を希望していなかった太郎さんは、治療を受けながら延命し続けるこの状況をどう思っているのだろう。 人工呼吸器とECMOの駆動音が響くICUで、田川医師は意識がない患者を前に途方に暮れていた。 (注)ECMO 経皮的補助循環装置。心臓や肺が悪く、全身の血液循環が保たれなかったり、血液に酸素を取り込むこと(酸素化)ができなくなったりした患者に使用する。ボールペンほどの太さ(外径約8mm)のシース(管)を両側の太ももに1本ずつ、または太ももと首に1本ずつ挿入して使用する。血液を体から取り出して人工肺に送り、二酸化炭素を除去した上で酸素を加えて体内に戻す。 第3話「田川医師の本音」へ
第2章 第1話 過信と思い込みの結果
第2章 第1話 過信と思い込みの結果
第2章:果たされなかった約束 第1話:過信と思い込みの結果 赤村太郎さん(仮名、70歳)が死亡してから2週間がたった。 5月下旬のある日、赤村さんの主治医だった循環器内科の田川賢治医師(仮名、30歳)は当直を終え、病院内のカフェでコーヒーを飲んでいた。午前9時。すでに午前中の診療が始まっているため院内は多くの人が行き交っているが、カフェはまだ空席が目立つ。 「先生も当直明けですか?」。声をかけられて田川医師が顔を上げると、緩和ケアチームの山崎直樹医師(仮名、45歳)がコーヒーを持って立っていた。 「山崎先生、その節はありがとうございました。今、ちょうど赤村さんのことを思い出していました。どうしても引っかかっちゃって。あの時、DNAR(do not attempt resuscitation:心肺蘇生を行わないこと)をちゃんと確認しておけばと……」 「ちょっとお話をする時間はありますか?」。田川医師がうなずくと、山崎医師は向かいの席に座った。 ×     ×     × 「父さん、今日は暑いぐらいだ。由布岳が山開きだってさ」 九州地方のA病院のICUで、感染防護用のエプロンと手袋を身に付けた赤村正さん(仮名、45歳)が、父の赤村太郎さんに語りかけた。反応はない。 心臓と足の血管狭窄に加え、MRSA肺炎と腎不全を併発した太郎さん。気管挿管され、ECMO(注)が挿入され、口や鼻、首、手、足にはたくさんの管がつなげられている。四肢は採血に伴う内出血で痛々しい。意識はないが、時折眉間にしわを寄せ、苦しそうな表情を浮かべる。 毎日午後3時になると、1日に10分だけ許されている面会のために、長男の正さんは妻と一緒に病院を訪れる。 田川医師は少し離れた所から、正さん夫妻の様子を何とも言えない重い気持ちで見つめていた。 「ぐったりしていて、足の色が悪い」と救急隊から入電があり、太郎さんがA病院に搬送されてきたのは10日前のことだ。下肢閉塞性動脈硬化症が疑われ、循環器急患当番だった田川医師がER(救急救命室)に呼ばれた。 田川医師は1年前に循環器内科の後期研修を終え、今は下肢血管治療の専門研修中だ。現在9例の治療を成功させている。やる気に満ち溢れ、下肢血管治療が必要な急患を待ち望んでいた。 太郎さんを診察すると、ひざの裏の膝窩(しっか)動脈の触れが悪かった。おそらく太ももを通る浅大腿(せんだいたい)動脈が狭窄しているのだろう。顔色は白く、血圧は80~100mmHgと低めで推移していた。ただ、ぐったりしている理由が分からない。全身の状態よりも下肢血管の治療のことで頭がいっぱいだった田川医師は「まあ、足の病変のせいということでいいだろう」と深く考えなかった。 翌日、循環器病棟で太郎さんを担当している新人の女性看護師から、心停止時に心肺蘇生を行うかどうか(治療コード)を確認するよう依頼された。 「何を言っているんだ! これから治療をする患者が、急変時のDNARを希望するわけはないだろう」。田川医師は強い口調で答えた。 「すいません……」。看護師は萎縮した様子で、カルテに「FULL CODE(心肺蘇生を実施する)」と記載した。 足の血管治療を行う前日、その病棟看護師から、太郎さんが10秒ほど意識消失をしたという報告を受けた。何か嫌な予感がした。田川医師の指導医が繰り返し「足は第2の心臓である」と言っていたことを思い出したのだ。足の血管が狭窄している人は心臓の血管も狭窄しているという意味だ。意識消失をしたということは心臓が悪い可能性がある。念のため太郎さんの様子を確認した方がいいと考え、病室に向かおうとした。 ちょうどその時、患者の急変を知らせるハリーコールが鳴り響いた。 「コードブルー。コードブルー。循環器病棟305号室」 田川医師が病室に駆けつけると、そこには心肺蘇生措置を受けている太郎さんの姿があった。 ここにきて全てがつながった。顔色が悪いのも、血圧が低いのも、下肢の色が悪いのも、ぐったりしているのも、心臓に異常があり、それに伴うショックを起こす直前の状態だったからだ。 すぐに心臓カテーテル室に太郎さんを移動させ、太ももの付け根からから親指ほどの太さのあるシース(管)を挿入しECMOを始動させた。足の血管も確かに狭窄はしていたが、心臓はさらに重症で3本の冠動脈はいずれも高度狭窄がみられた。 冠動脈の最低限の治療によって何とか一命を取り留め、太郎さんはICUに入室した。 病院からの連絡を受けて駆け付けた正さん夫妻は、経過、病状、今後の治療についての田川医師からの説明を黙って聞いていた。何か質問がないかと尋ねると、正さんが言った。「実は、父は蘇生措置を希望していなかったんです」 田川医師の心臓がドクンと大きく鳴った。血の気が引くのを感じた。 (注)ECMO 経皮的補助循環装置。心臓や肺が悪く、全身の血液循環が保たれなかったり、血液に酸素を取り込むこと(酸素化)ができなくなったりした患者に使用する。ボールペンほどの太さ(外径約8mm)のシース(管)を両側の太ももに1本ずつ、または太ももと首に1本ずつ挿入して使用する。血液を体から取り出して人工肺に送り、二酸化炭素を除去した上で酸素を加えて体内に戻す。 第2話「太郎さんが望んでいた最期の迎え方」へ
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